高橋惠子さんの若い頃がスキャンダルがあったりと壮絶ですが、綺麗だと話題になっています。

 

そんな、高橋惠子さんの若い頃の画像や、昔起こしたスキャンダルとは?

 

ということで今回は、高橋惠子さんについて、

  • 高橋惠子の若い頃の動画・画像は?
  • 高橋惠子の若い頃のスキャンダルとは?

気になりましたので、調べて紹介したいと思います。


スポンサーリンク

高橋惠子の若い頃の動画・画像!昔のスキャンダル歴!

高橋惠子の若い頃の動画・画像

高橋惠子さんは若い頃も綺麗ですが、主演デビュー作が妊娠する女子高校生役だったりと、マスコミによる記事で、奔放な不良少女のイメージが作られてしまったとのことです。

 

そんな、高橋惠子さんの若い頃の画像・動画が以下となっています。

高橋惠子 若い頃 動画
(画像引用元:https://i.pinimg.com

高橋惠子 若い頃 動画
(画像引用元:https://www.sanspo.com

高橋惠子 若い頃 動画
(画像引用元:https://i.pinimg.com

高橋惠子の若い頃のスキャンダル歴

睡眠薬の大量服薬で自殺未遂

高橋惠子さんはストレスにより、睡眠薬を大量に服薬して自殺未遂をしたことがあります。

 

高橋惠子さんはストレスがピークとなり、自己否定するようになっていたようです。

 

その結果、1977年に当時付き合っていた作家の河村季里さんと睡眠薬を大量に服薬し、自殺未遂をしたのです。

高橋惠子 若い頃 動画
(画像引用元:https://auctions.afimg.jp

 

幸い一命をとりとめましたが、女優業を休業して岐阜県の山村で過ごすこととなったのです。

スポンサーリンク

タイにドタキャン逃避行で大バッシング

高橋惠子さんは自殺未遂から休業後にオファーを受けた舞台を、ドタキャンしてタイに逃亡し、帰国後に大バッシングを食らっていました。

高橋惠子さんは自殺未遂から休業後に、「ドラキュラ」の舞台公演でのルーシー役で復帰が決まっていました。

 

ところが公演する前日に演技に対して恐怖を感じて、タイのバンコクに逃亡して死に場所を探していたのです。

 公演中の舞台から失踪し、死に場所を探しに海外へ行くつもりでしたが、その思いはすぐに消えました。

私が死んで、飛騨の家にある荷物を誰が片付けるのかと思ったとき、真っ先に浮かんだのは親でした。そう考えると死んではいけないと。

それでも、お付き合いをしていた方と大阪からタイの首都バンコクへ向かいました。引きずられるような流れで。どこに行く、何をするという目的はなかったのにね。

バンコクに着いても、舞台をすっぽかして申し訳ない気持ちでいっぱいでした。役作りで金髪に染めていたのですが、伸びて根本の黒い部分が目立ちはじめたので、到着翌日に美容院で「黒い部分までカットしてください」と言って、丸刈りのように短くしました。

もう戻らないと、退路を断つ意味で切りましたが、毎日、舞台の夢を見ました。つらかったですよ。ストレスで腎盂炎になりましたが、具合が悪いと舞台のことを忘れられるので、精神的には楽でした。

 バンコクでは日本のメディアの方に追われました。芸能の取材をしている人ではなく、報道担当の人だったから、顔つきが違っていて殺気立っていましたね。

引用:戻らないつもりの海外放浪…占術に従い帰国

 

その後、帰国しましたがマスコミからは心無い質問攻めにあい、共演NGを突き出す人も少なくなく、各方面への損害賠償を済ませた後は、1年間の謹慎となりました。

スポンサーリンク

高橋惠子 プロフィール

高橋惠子 若い頃 動画
(画像引用元:http://tokyonewcinema.com

別名義     関根 恵子(旧姓・旧芸名)
生年月日    1955年1月22日
出生地     北海道川上郡標茶町
血液型     AB
職業      女優
事務所     ブロウアップ

 

中学校時代から持ち前の大人びた容貌で芸能スカウトの目に留まり、2年生の時に大映のスチールカメラマンにスカウトされます。

 

そして、中学を卒業するまでの1年間、大映の研修所へ通い演技のレッスンを積んでいきます。

 

1970年8月に「高校生ブルース」に主演予定だった南美川洋子が降板したことから代役に抜擢されて、関根恵子の芸名で主演デビューを果たします。

 

同年の「おさな妻」でゴールデンアロー賞新人賞受賞します。

 

1972年には新・だいこんの花にレギュラー出演し、同年7月から人気テレビドラマ「太陽にほえろ!」にヒロインで2年間レギュラー出演したことで人気女優となります。

 

1973年には主演映画「朝やけの詩」でも話題となり、1974年3月に劇団「F企画」の旗揚げ公演「みやもと武蔵」で舞台デビューを果たします。

 

1977年に年明け直後からストレスがピークとなり、自殺未遂をして女優業を休業します。

 

1979年には事務所に女優復帰を果たすが同年7月に「ドラキュラ」の舞台公演で逃亡して、同年11月に謝罪会見を開いてバッシングを受けます。

 

1982年には主演「ラブレター」でロマンポロマンノ史上最高の興行収入を記録します。

 

同年に映画監督の高橋伴明と知り合い結婚後は芸名を高橋姓に改名し、以後は大人の落ち着きある女性の役柄を数多くこなしていきます。

 

1992年にはNHK大河ドラマ「信長 KING OF ZIPANGU」で織田信長の母「るい」役を1年間担当しています。

 

2012年11月には「カミハテ商店」で、1989年「花物語」以来23年ぶりに映画主演を果たしています。

 

同2012年から現在まで、テレビコマーシャル「レディースアデランス」にも出演しています。

高橋惠子の若い頃の動画・画像!昔のスキャンダル歴が壮絶!

高橋惠子さんの若い頃の画像はお綺麗ですが、かなり女優として追い込まれ、スキャンダルを起こしていたようです。

 

そして、何度も自殺未遂をしていますが、思いとどまり、現在に至っているのでした。

 

とにかく、生きててよかったのと、生きていたからこそ様々な素晴らしい作品に出会えて活躍しているので良かったです。

 

今後も高橋惠子さんは女優として活躍してくれることを期待しています。

 

せばな~