野茂英雄さんの親友である佐野慈紀さんですが、野茂英雄さんと借金トラブルで裁判を起こされたことが話題になっています。

 

そんな佐野慈紀さんの借金トラブルとはどんなもので、なぜ借金を背負い、返済をしなかったのでしょうか?

 

ということで今回は、佐野慈紀さんについて、

  • 佐野慈紀の借金トラブルの内容!
  • 佐野慈紀が借金を背負った理由?
  • 佐野慈紀が野茂英雄に借金を返済しなかった理由

気になりましたので、調べて紹介したいと思います。


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佐野慈紀の借金トラブル理由!野茂英雄に返さない理由?なぜ裁判まで発展?

借金トラブルで裁判になった経緯

佐野慈紀さんは親友の野茂英雄さんから3千万円借りていましたが、434万5000円しか返済しておらず、残金の支払いを求め裁判を起こされました。

佐野慈紀 借金トラブル
(画像引用元:http://bunshun.ismcdn.jp

 

野茂英雄さんと佐野慈紀さんは年齢が一緒で近鉄バファローズ時代は投手同士で仲がよく、佐野慈紀さんのコミカルなキャラを定着は、野茂さんがアドバイスしたおかげだったのです。

 

そんな親友の野茂英雄さんから佐野慈紀さんは引退した2003年に3千万円を借り、10年で返済するという約束をしていました。

 

ところが、これまでに返済されたのは約430万円、実は過去に1度、期限を10年間延ばしてもいるが、それでも約束は守られなかったのです。

 

交渉の末、15年間で当初は月2万円で徐々に返済額を上げて返すこととなったのですが、返済されずに返済を請求できる権利期間が消滅する日が近づいたので裁判を起こすことにしたのです。

 

つまり、佐野慈紀さんは借金を伸ばしてくれたのに踏み倒そうとしたため、野茂英雄さんが裁判を起こしたのでした。

佐野慈紀が引退後に3千万円借りた理由?

遊びのツケでの借金

佐野慈紀さんは遊び人らしく、遊びのツケで野茂英雄さんに3千万円も借りたのかもしれません。

 

佐野慈紀さんは現役時代は風俗好きとして有名で、一晩で風俗店が入ったビルの1階から最上階まで制覇したという伝説もあるほどです。

 

しかも、1億円プレーヤーで金があったので、かなり遊び呆けていたのかもしれません。

 

そんな、かつての1億円プレーヤーのように遊んだりとお金を使う水準が高いため、引退後には遊びで借金を背負い、野茂英雄さんに3千万円も借りたのかもしれませんね。

税金が払えずに借金?

佐野慈紀さんは1億円プレーヤーで、年俸の税金の額は多くて払うために借金を背負ったのかもしれません。

 

高額年俸を手にした選手が不振でシーズンを棒に振って大幅減俸となった場合、月ごとの振込額が激減した中、「去年の高額年俸にかかる税金」を払っていくことになります。

 

佐野慈紀さんは1996年には1億円プレーヤーとなりましたが、1997年にはトミー・ジョン手術を受けて1998年は一軍登板はないと大幅減俸したはずです。

 

となると、月ごとの振込額が激減した中、「去年の高額年俸にかかる税金」を払っていくことになり、払うために借金を背負ったのかもしれません。

佐野慈紀が野茂英雄に返済しなかった理由?

佐野慈紀さんは親友の野茂英雄さんの優しさに甘え、見通しの甘さもあって、約束を守らずに踏み倒そうとしていました

「現状で確実に返せるのは、月2万円。将来、子供たちの学費がなくなれば、さらに返せると考えて計画を伝えました。ただ、野茂さんの名前を汚すようなことになってしまい、不徳の致すところです。彼の優しさに甘え過ぎてしまった」

 

佐野慈紀さんは親友の野茂英雄さんだから大丈夫だと思い、お金を先延ばしにして甘えまくり、期限を何度も伸ばしてました。

佐野慈紀 借金トラブル
(画像引用元:https://image.middle-edge.jp

 

しかも、借金を返済していないのに転居の度にグレードアップして今は最低月30万円のマンションに妻子と暮らしており、野茂英雄さんに甘えていたことが明らかです。

 

それだけなく、「子供たちの学費がなくなれば返済できる」という見通しの甘さもみられ、結局いつまでも経っても野茂英雄さんに甘えて返さなかったのでした。

 

しかし、野茂英雄さんは裁判を起こし、佐野慈紀さんとは袂を分かつ最悪の結果となったのでした。

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佐野慈紀 プロフィール

佐野慈紀 借金トラブル
(画像引用元:https://image.middle-edge.jp

出身地     愛媛県松山市
生年月日    1968年4月30日
身長      175 cm

 

愛媛県立松山商業高等学校時代の1986年夏には、第68回全国高等学校野球選手権大会に出場して準優勝に貢献しています。

 

近畿大学工学部では硬式野球部でエースとなり、リーグ10連覇に貢献して最優秀投手賞を4回受賞します。

 

1990年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから3位指名を受けて入団し、ルーキーイヤーの1991年では中継ぎ中心に登板して6勝を挙げます。

 

1993年には、防御率2.00(厳密には1.995)を挙げ、近鉄では主に中継ぎ投手として活躍します。

 

1995年には自身初の二桁10勝を挙げ、1996年オフには中継ぎ投手として日本プロ野球史上初の1億円プレーヤーとして話題となります。

 

肘の故障で1997年にトミー・ジョン手術を受けたため、1998年は一軍登板はなく1999年は7月7日の福岡ダイエーホークス戦でプロ初完封勝利を無四球で挙げるも不本意な成績に終わります。

 

そのため、同年オフに交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍したが、2000年5月に一軍登録されます。

 

ところが、2000年6月21日の対巨人戦で1イニング4被本塁打の日本プロ野球タイ記録を作り、翌日登録抹消となり、以降は一軍への出場機会が無いままシーズンオフに戦力外通告されます。

 

その後、他球団の入団テストを受けるがいずれも不合格となり、親友の野茂英雄選手がアメリカにいるので、アメリカ合衆国へ渡ります。

 

2001年は独立リーグのエルマイラ・パイオニアーズでプレーし、2002年はMLBのロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約するも、メキシカンリーグのメキシコシティ・タイガースに移籍後、エルマイラ・パイオニアーズに復帰します。

 

2003年にオリックス・ブルーウェーブへテスト入団して日本球界へ復帰しますが、一軍登板は2試合にとどまり、現役を引退します。

 

引退後の2004年からは野球評論家・解説者に転身し、各テレビ・ラジオ局の番組に出演、2006年よりサンケイスポーツ(大阪)評論家にもなります。

 

また、2003年に近鉄時代の同僚・野茂英雄らが設立した社会人野球チームNOMO Baseball Clubの理事を2005年頃まで務めています。

 

2011年は独立リーグ・BCリーグ(BCL)の石川ミリオンスターズで応援広報大使を務め、翌2012年より取締役に就任しています。

 

2015年からは「プロ野球の有名OB(解説者)が野球について語り尽くす動画サイト」として開設された「OBTV」に出演もしています。

佐野慈紀の借金トラブルで野茂英雄に甘え!裁判まで発展するほどだらしない!

佐野慈紀さんは借金トラブルを起こしたのは自業自得としかいえず、これは親友の野茂英雄さんも裁判を起こせざる得ないと思います。

 

やはりかつての1億円プレーヤーのように遊んだり、マンションも借金があるのにどんどん家賃が高くなるという、お金を使う水準が高くなったことで金回りが悪くなったのでしょう。

 

情報を見る限りでは明らかに自業自得で、このままいけばまた佐野慈紀さんが踏み倒そうとしそうですが、果たしてどうなるのでしょうか…

 

せばな~