木村花さんが誹謗中傷による自殺が問題視されていますが、そこで猪木ファンにより愛犬がノイローゼにされたラッシャー木村さんが話題になっています。

 

そんな、ラッシャー木村さんの愛犬がノイローゼにされた事件とは?

 

ということで今回は、ラッシャー木村さんの愛犬が猪木ファンにノイローゼにされた事件を紹介します。

スポンサーリンク

ラッシャー木村の愛犬が猪木ファンの誹謗中傷でノイローゼとは!

ラッシャー木村の愛犬がノイローゼ事件とは?

ラッシャー木村さんは当時ヒール役の時に猪木ファンに恨まれて嫌がらせを受け、愛犬がノイローゼで円形脱毛症になる程の事件が起きていました。

 

ラッシャー木村さんはペットと触れあうことが好きで、特に愛犬家として有名で犬を飼っていました。

ラッシャー木村 犬
(画像引用元:https://pbs.twimg.com

 

しかし、新日本参戦時に熱狂的な猪木ファンから自宅への嫌がらせ、悪戯の被害をたびたび受け、愛犬がストレスで円形脱毛症になったのです。

 

そこで、ラッシャー木村さんは自分も嫌がらせを受けているのに、それよりも愛犬がストレスで円形脱毛症になったことを心配していたのです。

 

また、それほど犬が好きなため、晩年は「もし世話できなくなったら、放っておかれてしまう犬が可哀想だから」とあえて犬を飼わなかったのです。

 

そして、代わりに自宅の扉を少し開けておき、近所の放し飼いの犬がベッドに入って来るのを可愛がり、これを無上の楽しみとして我慢していたのです。

ラッシャー木村が猪木ファンに恨まれていた理由は?

ラッシャー木村さんは当時「猪木を倒すためならどんな卑劣な手段も問わない」というヒール役で、かなり猪木ファンに恨まれて誹謗中傷に嫌がらせを受けていたのでした。

「過去にコンビやトリオ」で思い出したのは芸人以外だと「はぐれ国際軍団」だ。
1981年、国際プロレスが倒産して新日本プロレスに“乗り込んできた”ラッシャー木村・アニマル浜口・寺西勇のトリオの総称である。

とにかく新日本・猪木信者から憎まれた。「猪木を倒すためならどんな卑劣な手段も問わない」というアングルで、最終的に「猪木対はぐれ国際軍団3人」という変則カードも組まれた。

引用:「ラッシャー木村はえらい」のだ。

 

ラッシャー木村さんはプロレスのプロフェッショナルなので、ヒール役を全うしたためか、かなり猪木ファンに恨まれました。

 

その結果、現実の区別がつかなくなった猪木ファンに実際に嫌がらせを受ける結果となってしまったのです。

スポンサーリンク

ラッシャー木村 プロフィール

ラッシャー木村 誹謗中傷
(画像引用元:https://livedoor.blogimg.jp

本名      木村 政雄
生年月日    1941年6月30日
死亡日     2010年5月24日(68歳没)
出身地     北海道中川郡中川町
デビュー    1965年4月2日
引退      2004年7月10日

 

高校を中退して大相撲の宮城野部屋に入門し、1958年3月場所にて、木ノ村(きのむら)の四股名で初土俵を踏みます。

 

幕下20枚目まで昇進したが「十両に上がったら辞められなくなる」の理由で1964年9月場所限りで、親方(元横綱・吉葉山)の慰留を振り切り脱走して廃業します。

 

1964年10月に日本プロレスに入団し、1965年4月2日、リキ・スポーツパレスに於いて、高崎山猿吉戦でデビューします。

 

翌1966年に豊登が興した東京プロレスの旗揚げに参加し、1969年1月1日にリングネームをラッシャー木村に改名します。

 

同年4月20日にサンダー杉山と組んでスタン・スタージャック&タンク・モーガンを破り、TWWA世界タッグ王座を獲得します。

 

1970年8月に凱旋帰国し、10月8日には大阪府立体育館にてドクター・デスを相手に、日本初の金網デスマッチを行っており、金網デスマッチでは不敗を誇り、「金網の鬼」の異名が定着します。

 

1971年9月には新王者チームのバスチェン&ハワードを破ってIWA世界タッグ王座を初奪取します。

 

帰国後の1973年4月30日には、グレート草津を新パートナーにバション&イワン・コロフが保持するIWA世界タッグ王座に挑戦して敗退したものの、5月14日の再戦で勝利し同王座を再び奪取します。

 

1973年10月には『IWAワールド・シリーズ』第5回大会の決勝戦でブラックジャック・マリガンを破り、シリーズ初優勝を果たしています。

 

1975年4月19日にバションを金網デスマッチで破りIWA世界ヘビー級王座を獲得し、6月6日にはアントニオ猪木に挑戦状を突きつけ、同年12月20日にはジャイアント馬場にも挑戦を表明して話題になります。

 

1978年11月には「日本リーグ争覇戦」において、決勝戦でプロフェッサー・タナカを破り優勝します。

 

1981年10月に国際の解散に伴い、残党のアニマル浜口、寺西勇と共に新日本プロレスに参戦し、アントニオ猪木との抗争を開始してヒール役として話題を呼びます。

 

1984年に新日本で勃発した内紛によって、新間寿に請われて前田日明らと第一次UWFの旗揚げに創設メンバーとして参画します。

 

また当時マイクパフォーマンス人気によるユニークなキャラクターが買われバラエティ番組に出演し、コミカルな存在となり、物まねをされたりとプロレス界の名物として定着します。

 

2001年に還暦を迎えて生涯現役を宣言。翌年には馬場を抜いて日本人最高齢のレスラーとなるが体調不良も続き、2004年7月に東京ドーム大会にビデオレターを送って引退を表明します。

 

現役引退後は脳梗塞で倒れ、車椅子生活であったといわれており、2010年5月24日に腎不全による誤嚥性肺炎のため、68歳で死去します。

ラッシャー木村の愛犬が猪木ファンの誹謗中傷でノイローゼ!

ラッシャー木村さんはプロフェッショナルでヒール役として全うしていたせいか、かなり猪木ファンに嫌がらせを受けてしまったのです。

 

しかし、自分よりも同じ被害を受けた愛犬を心配し、晩年は世話できなくなるとあえて飼わなかったりと、すごく優しい方なのかよく分かります。

 

みなさんもテレビやショーマンシップで恨んでからといって、相手に嫌がらせするのは最低の行為ですので辞めて下さい。

 

せばな~

スポンサーリンク