2018年3月26日「深イイ話」では、紅白歌手・丘みどりさんのアイドルから演歌歌手へ…母の死…壮絶人生支えた祖母との絆が紹介されます。

 

そんな、亡くなってしまった母親の死因や、どんな思い出が母親と丘みどりさんにあったのでしょうか?

また、母親亡き後に、支えてくれた祖母や父親との絆とは?

 

ということで今回は、丘みどりさんについて、

  • 丘みどりさんの母親の死因や、どんな思い出が?
  • 支えてくれた祖母や父親との絆とは?

気になりましたので、調べて紹介したいと思います。


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丘みどり プロフィール

丘みどり 母親 死因
(画像引用元:http://yoshuran.com

本名      岡 美里
生年月日    1984年7月26日
出身地     兵庫県姫路市
学歴      兵庫県立山崎高等学校卒業
ジャンル    演歌
職業      歌手
活動期間    2002年~
事務所     アービング

 

小学校5年生の時に「兵庫県日本民謡祭名人戦」で優勝し、これを皮切りに数々の民謡コンクールで優勝していた丘みどりさん。

 

それから高校卒業後にホリプロ大阪のアイドルグループHOP CLUBのメンバーとして芸能活動を始めました。

 

その後、アイドルから望んでいた演歌歌手に転向し、2005年「おけさ渡り鳥」で歌手デビューし大阪の放送関係者にスカウトされ、関西を拠点に活動していました。

 

しかし、デビュー翌年からは全く仕事がなかったが、コンスタントにCDを出し、「NHK歌謡コンサート」「うたコン」等の歌謡曲テレビに出演していきました。

 

2016年に所属事務所を移籍しテレビ出演が急増し、同年6月に移籍第1弾「霧の川」をリリースし、10月には週刊文春誌内で「紅白出場濃厚」と報じられるほどでした。

 

2017年12月31日に第68回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしたことで知名度を高め、演歌歌手として活躍されております。

丘みどり母親の死因は癌…祖母と父親との絆とは?

丘みどり母親の関係

丘みどりさんの母親の死因は癌で、丘みどりさんが2005年に演歌歌手としてデビューして間もなく見つかり、2006年に亡くなってしまったのです…

丘みどり 母親 死因
(画像引用元:http://intakeinfo.jp

 

そんな、丘みどりさんの母親は演歌歌手を目指すきっかけを作ってくれた方なのです。

人見知りが激しい私を心配した母が、人前に出る機会を増やそうと、祖母といっしょに民謡教室に行かせたのが始まりです

「家の中ではいつも音楽が流れていました。民謡を習っていたせいもあるのでしょうか、演歌に興味を持ちました。
3歳のときには島倉千代子さんの『人生いろいろ』を歌っていました。
初めて買ってもらったCDが鳥羽一郎さんの『兄弟船』。近くのホールでコンサートをするのは演歌歌手が多かった。かっこよさに憧れました」

演歌に囲まれ、母親の後押しで通った民謡教室に通っていたことで演歌歌手を目指しました。

 

また、母親自身も教室の講義内容を録音して覚えて、家で丘みどりさんを教えていたそうです。

 

しかも、「ここのフレーズを歌えるまで寝ちゃダメ!」と、スパルタな指導をしていたらしいです…

 

そして、ようやく演歌歌手になれて一番喜んでくれて、一番演歌歌手活動の相談に乗ってくれた母親に癌が見つかってしまったのです。

「ところが、まもなく母にがんが見つかったんです。母の看病のために、芸能活動を一時、中止しました。
母が亡くなったのは06年です。
演歌歌手になったのを喜んでくれた母です。どんな衣装にするか、舞台で何をしゃべったらいいのかなど相談もしていました。母の死去でもう何もかもがいやになり、投げやりな気持ちになりました」

あれだけなりたかった演歌歌手になったのに、母の看病のために、芸能活動を一時中止とはそれだけ母親のことが好きだったんですね…

 

しかし、2006年に他界してしまいます…

 

そんな母親の思いがあったかこそ、10年の下積み時代を乗り越え、紅白歌合戦に出場することが出来たのでした。

「ただ、人生、甘くはない。デビュー10年、30歳になってもヒット曲に恵まれませんでした。『やらずに後悔するよりもやって後悔する人生を送ってほしい』という母の言葉を胸に頑張りました」

「天国の母との約束が、ようやく果たせるという気持ちですね。」

このように演歌歌手になってから短い期間しかいられませんでしたが、一番の相談者だったのが母親で思い入れが強く、思いがあったかこそここまで丘みどりさんはこれたのでしょう!

丘みどりと祖母の関係は?

演歌歌手を目指したきっかけは母ですが、人見知りな丘みどりさんと一緒に民謡教室に行ってくれたのは祖母でした。

祖母「公民館の民謡教室に連れて行ったら、横で聞いただけなのにソーラン節を上手に歌って。先生が『この子の節回し、あんたらより上手やで』と驚いていた」

そんな祖母とのかけがえのない民謡教室での経験があったからこそ、学校では歌声を披露することはなく目立つ存在でなかった丘みどりさんは歌手を目指したのでしょう。

 

そして、紅白歌合戦出場を誰よりも喜び、NHKホールまで応援に駆けつけてくれたのです。

「私よりさらに緊張してるみたいですが、一生に1度の初出場だから楽しんでと言われた。ファンの皆さんの思いも一緒に歌いたい」

「祖母が泣いていたのが見えたので…。その方は見ないようにして歌いました。すごく楽しかったです」

孫の晴れ舞台を見て緊張し、感動で泣いてくれた祖母は紅白歌合戦会場でも今までのように見守ってくれました。

 

そんな丘みどりさんの母親のように民謡教室からずっと一番近くで見守っていたのが祖母だったのでした。

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丘みどりの父親との関係は?

丘みどりさんが母親を癌で亡くして意気消沈していた時に、支えてくれて演歌歌手を続けようと決意させたのが父親でした。

「父に歌手をやめたいと打ち明けると『帰っておいで』と言われ、実家に帰ったんですね。そこで怒られたりしたら反発したかもしれませんが、『みーちゃん、何とかなるやろ』と励まされたんです。(演歌歌手を)続けようと決意しました」

父親は叱咤激励するのではなく、遠くから優しく見守り、辛くなった時に心の拠り所として支えてくれたのです。

一番左が丘みどりの父親

丘みどり 母親 死因
(画像引用元:https://www.kobe-np.co.jp

 

また、父親は娘の丘みどりさんの出演した番組をすべてビデオに録り、すぐに電話等で褒めてくれる熱心なファンなのです。

「父も喜んでくれています。父は私が出演した番組をすべてビデオにとってくれていて、そのたびに『すごく良かった』などと(無料対話アプリの)LINEや電話で褒めてくれます。それが、自分でも満足したときと一致するんです。よく分かってくれているんですね」

母親は一番の相談者でしたが、父親は一番のファンで理解者なのでしょう!

 

そんな父親の支えもあり、丘みどりさんは演歌歌手を続けようと決意し、約10年の下積みを経て紅白歌合戦に出場できたのです。

父親の姫路市職員、岡重行さん(59)には、出場が内定した後「決まったよ」と電話があったという。重行さんは「去年から紅白が期待され、本人も重圧だったはず。支えていただいた方々に恩返しでき、少しは肩の荷が下りたのでは」と娘の内心を推し量った。

丘みどりさんの父親も紅白歌合戦出場が決まり、少しホッとしたようです。

 

その時の言葉も丘みどりさんの気持ち・重圧を理解しており、やはり一番のファン・理解者は父親なのでしょう!

丘みどり母親の死因は癌…祖母と父親が支えてくれたから

丘みどりさんの母親は演歌歌手になるきっかけを作り、祖母はずっと一番近くで見守っていました。

 

そして、父親は優しく支えてくれ、一番の理解者であったのです。

 

また、父親だけでなく、実家の近所に住んでいる方が丘みどりさんの母親代わりになったりと様々な方がに支えられているのです。

 

そんな、家族だけでなく様々な方々に支えられていたからこそ、ここまでこれた丘みどりさん。

 

今後も天国の母親、父親や祖母、支えてくれる周りの方々のために演歌歌手として活躍することを期待しています!

ヨシコヨシコ

母親の死を乗り越えて下積み10年を乗り越えた根性が凄い!(尊敬)
自分にもそんな心の強さがほしいです!
せばな~