金メダルを獲得した小平奈緒選手ですが、所属先は、企業ではなく、長野県松本市にある「相澤病院」だったのです。
なぜ所属先は「相澤病院」にしたのでしょうか?
また、病院ということで看護師なのか職業や年収はどうなっているのでしょうか?
ということで今回は、小平奈緒さんの所属先が相澤病院の理由と、職業や年収はどうなっているのか調査したいと思います。
目次
小平奈緒が相沢病院の理由は結城コーチ!職業や年収は?
就職先が相沢病院の理由は?
小平奈緒さんは相沢病院に所属している理由は、「長野を拠点に卒業後も結城コーチの指導を受けたい」ためでした。
長野で3歳からスケートを始めた小平奈緒選手は、高校の時にインターハイで500メートル、1000メートルの2冠を達成し、頭角を表します。
そのため高校卒業前には複数の実業団から勧誘を受けていたが、断って結城コーチが指導している信州大学スケート部に入学しました。
そして、卒業後も結城コーチの指導を受けたい思いで、結城匡啓コーチが頼ったのは、けがの治療を受けた縁もあった相沢病院でした。
「高給優遇はできないが、大卒の事務の人を雇用するぐらいの給料で我慢してもらえれば、1人ぐらいは何とか支援できる」
こうして、結城コーチの指導を受け続けるため、相沢病院に就職を決めたのでした。
結城コーチとは?
小平奈緒さんが「世界一の指導者」と信頼を寄せる結城匡啓コーチを知ったのは11歳の時でした。
(画像引用元:https://www.mf-iroenpitsu.com)
当時、結城匡啓コーチは長野五輪、男子500メートルで金メダルを獲得した清水宏保氏のコーチを務めており、そのことで知ったようです。
そして中学の時に結城匡啓コーチの指導する練習姿を見て決意し、指導を受けるために信州大学スケート部に入学しました。
結城コーチは、表紙の右上に「極秘」と記された「結城理論」に動作解析など科学的知見の豊富なコーチによる門外不出の技術を教えたりと、小平奈緒選手はどんどんのめり込みました。
ただ、2013年1月の国際大会で転倒した時に「カーブが怖い」と漏らすと、結城コーチから「怖いとか言っているなら、やめてしまえ」と突き放され、泣き崩れたこともありました。
2016年までの2年間はオランダ留学中も連絡を取り合い、現地での練習を見た結城コーチは「私も学んだことが多かった」と二人三脚で学んでいたのです。
2016年の春にオランダ留学から帰国した小平と「22カ月計画」を設定し、右足首の故障で体力が低下した当時を乗り越えて一緒に戦ってきたのです。
小平奈緒の職業は?年収は?
小平奈緒選手は相澤病院のスポーツ障害予防治療センタースタッフとして就職していますが、最初から働いてもらうつもりはありませんでした。
(画像引用元:https://power-shower.com)
そんな、小平奈緒選手の支援には職員として支払っている給与は年収500万円以上、渡航費用等も含めると年間2000~3000万円とのことです。
また、オランダで修業したいと要望があった際は、病院の留学制度を利用し2年間の留学をしていました。
遠征費は連盟の強化費をあてるが「少しでもいいコンディションで試合ができるように」とビジネスクラスへのアップグレードの費用も出しています。
スポンサーリンク相澤病院とは?
社会医療法人財団慈泉会「相沢病院」は、1952年に長野・松本市で開設されました。
(画像引用元:https://upload.wikimedia.org)
長野県初の地域医療支援病院で、小説「神様のカルテ」のモデルにもなった病院でもあります。
そして、小平奈緒選手を支援するために、2017年4月には五輪に2度出場した石沢志穂さんをアシスタントスタッフで採用しています。
「患者さんは、スケート選手がいるから来るわけじゃない。ちゃんと治してもらえるかでしょ。
僕は一生懸命頑張っている一人の女性を応援したいだけ」
相沢理事長は、道楽と言われるかもしれませんが、一生懸命頑張っている女性を支援したいと、見返りを求めない「足長おじさん」として支援しているのです。
小平奈緒が相沢病院の理由は結城コーチ!年収は全て含めてで一千万円以上!
小平奈緒選手は結城コーチの指導を受け続けたいがために、支援してくれる相澤病院にスタッフとして就職しました。
そして、結城コーチと二人三脚で学び苦楽を共にすることで金メダルを獲得したのです。
そんな、小平奈緒選手には沢山の支えられた人たちによって、金メダルを獲得と素晴らしい恩返しが出来たのでした。
せばな~