2016年9月9日放送の「究極の○×クイズSHOW!!超問!真実か?ウソか?」では、
「凧揚げのタコは、最初イカと呼ばれていた。、○か×か?」
という問題が出題されます。
昔から庶民で遊ばれていた凧揚げですが、まさか「イカ揚げ」と最初は言われていたのでしょうか?
そんな凧揚げですが、
本当に「イカ揚げ」と言われていたの?
なぜ「イカ揚げ」から「凧揚げ」になったの?
気になりましたので、調べて紹介したいと思います。
凧揚げは「いかのぼり」だった?なぜ?イカ揚げから凧に?理由は江戸で禁止?
日本の凧揚げは中国から平安時代に入ってきて、当時は四角い形で長い足ということで「いかのぼり」「イカ」と呼ばれていました。
江戸時代直前までは貴族や武士等の一部で遊ばれており、町民には遊ばれていませんでした。
また戦国時代には「いかのぼり」は武士の通信手段としても使われており、凧揚げの技術はかなりの高いものへとなってもいました。
そんな「いかのぼり」は江戸時代になる町民の間で老若問わず流行して多種多様な凧があらわれました。
いかのぼり禁止令?なぜ?凧揚げだから問題なし!
江戸時代に流行した「いかのぼり」ですが、様々な事件・問題を起こします。
武家屋敷では「いかのぼり」による壊れた屋根の修理を毎年大金を使ったり、大名行列の中で凧が落ちたり、大人が「いかのぼり」を揚げて喧嘩に勃発し、けが人や死者が出るほどとなったようです。
そのため幕府は「イカノボリ禁止令」を出して「いかのぼり」の遊びを禁止します。
しかし、町民にとって大人気の娯楽なので「いかのぼり」を辞めずに「凧揚げ」を改名して、「イカではなく、タコ」だと言って凧揚げをしました。
そして「イカノボリ禁止令」の抑制のせいか「凧揚げ」になってからは更に遊びが血気盛んになります。
中国や韓国にはない「凧」という日本独自の漢字も作ったり、禁止令が出されても1600年頃に「凧合戦」と町民の中でケンカが始まるほどでした。
これほど町民で大人気だった「凧揚げ」ですが、明治になると流行が過ぎます。
理由は電線や大きな建物も建てられ始めて、凧を自由にあげられる場所が減ったからです。
こうやって、幕府を巻き込むほどの凧揚げの人気はなくなりましたが、今では正月や節句の子供の遊びとして続いています。
スポンサーリンク凧揚げはイカ揚げだった?いかのぼりの町民の熱がやばい!
幕府を巻き込むほどの「いかのぼり」は正に町民の熱の入りようがすごかったのでしょう。
禁止されても屁理屈をいって辞めず、更には「凧合戦」を勃発するほどの規模とは…
江戸時代の町民のパワーは凄いですね!
流石江戸っ子です…
この凧揚げの歴史を知って凧揚げをすると、また違った気持ちで凧揚げが楽しくなるかもしれませんよ?
せばな~