原辰徳監督が3度目の巨人監督となりましたが、1億円事件で永久追放・辞任なのにと複雑な声が寄せられています。

 

そんな原辰徳監督の1億円事件の真相・経緯は?

 

ということで今回は、原辰徳監督の1億円事件の真相・経緯を紹介したいと思います。


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原辰徳1億円事件の真相とは?永久追放・辞任理由は?

巨人は2018年10月10日に、球団特別顧問で前監督の原辰徳氏に来季の監督就任を正式要請したことを公表しました。

 

原辰徳監督も「前向きに考えますと申し上げた」と受諾の意向を示しており、これにより、巨人史上初の3度目の監督が決まりました。

 

ところが、原辰徳監督には浮気と暴力団1億円疑惑があって永久追放・辞任したという噂があり、複雑な声が寄せられているのでした。

原辰徳1億円事件の真相と経緯

原辰徳監督が妻子がいる身で浮気

原辰徳監督は1988年に妻子がある身ながら20代の女性と不倫して、浮気相手を妊娠させます。

 

原辰徳監督は巨人が関西遠征の際に定宿にしていた兵庫県芦屋市内のホテルでアルバイトをしていた20代の女性と浮気しました。

 

実際に原監督の浮気相手が書いた日記のコピーが公開されています。

’91・9・15《マサカのニンシン。7週4日だということ。逆算すると相手は8さん(原監督の背番号)で、ALL STARの日。8さんとはありえナイと思ってたのにィ。この間「しおどき」「別れ話」が出たあと。信じられナイ。全然気付かなかった。話さなきゃ。自分ひとりだけでじゃあやりきれナイ。でも話したら、もう完全に終わりになるんだろうなぁー。「遊びだった」のに、向うにしたら困るんだろうなぁー。でも、私だって困るから。どうなるんだろう》

’91・9・20 HIROSHIMA《行ってうちあける。でも、会えず。Telで話しただけ。どうして会ってもらえナイのか、ぜぇーんぜんわからなかった。何故会えナイかは、教えてくれたけど、納得はできない。それに何も言えなくなってしまう。さいごのさいごまでむこうが決めたとおり顔もみず。こんなことがあってもサイゴじゃナイらしい。顔もあわすしどこかで会えば「よー元気かぁー」とも。「今までどおりとはいかナイけど」…「オマエのことは記憶から消えナイし消すつもりもナイ」「孤独に思わなくていい。何んでも相談すればイイ」。キレイすぎる。それに顔もみず会えなかったことは孤独のなにものでもナイんだけど。さびしい。ただそれだけ》

’91・9・28《きょうやっと手術した。きのうまでのあの身体のだるさ、重さがうそのようにとれた様です。でも、もちろん2週間程しないと元通りにならないそうですが。でもやっぱり気がはれた!!早く気持ちをいれかえて元に戻ろう!!っと》

 

日記によると妊娠を打ち明けられた原監督は、直接会うことを拒絶し、最終的に堕胎させたようです。

 

そんな原辰徳監督の浮気相手は大阪でホステスをするようになり、ホストクラブにハマって借金を抱えていたそうです。

 

そして、1995年の阪神大震災と前後する形で、浮気相手は忽然と姿を消してしまったのでした。

原辰徳監督が浮気相手の日記で暴力団に脅された?

そんな原辰徳監督との浮気が綴られた日記は暴力団の手に渡り、脅されて原辰徳監督が1億円払ったとのことです。

原辰徳 1億円事件
(画像引用元:https://iwiz-chie.c.yimg.jp

日記は浮気相手は消えるまで住んでいた家に残されたままでしたが、彼女と同居していた同僚女性の元から人を介して暴力団関係者へと渡ってしまったのです。

 

この日記を手に入れた暴力団関係者は山本正志さんという方で、山口組の西日本の有力団体S会の直参組長でしたが、2008年頃に破門されているそうです。

 

そして暴力団の手に渡った日記は原辰徳監督を脅す材料として、2006年8月に女性の日記を持っているという元暴力団員の山本正志さんともうひとりの男から連絡があり1億円を要求されたのです。

 

しかも、日記には原以外に二人の選手の名前が書かれており、その二人の選手が巨人のコーチをしていたことから表沙汰になることを防ごうと、球団にも警察にも知らせず、知人に借金して支払ったのでした。

 

ちなみに、原辰徳監督を脅迫した山本正志さんとは別の1人は2007年に北海道の小樽から札幌へと続く高速道路、通称「札樽道」で、壮絶な交通事故で死にました。

2度目の日記で暴力団に脅されて告発

2009年4月にさらに当時の女性問題に関する日記について球団に連絡して脅したのです。

 

何も知らなかった球団が原辰徳監督に問いただすと、浮気と1億の支払いを球団に打ち明け、同時に20年以上も原の不倫について知らなかった嫁にも打ち明けたそうです。

 

それだけでなく同年12月には、男がガソリン缶やガスボンベを持参して球団に押しかけ、現行犯逮捕されてい事件も起こしたのでした。

原辰徳監督の浮気と1億円事件を文春砲!

この浮気からの1億円事件は2012年6月21日発売の週刊文春(6月28日号)にて、この問題が報道されて再度話題になりました。

 

週刊文春は21日付の最新号で、「原監督が2006年に暴力団員に女性問題で脅迫を受け、1億円を支払った」と報道しました。

 

ところが原監督と読売球団側は20日、「1億円を渡したのは事実だが、金を受け取った相手は暴力団員ではない」とし、名誉毀損容疑で週刊誌を告訴した。

 

しかし、裁判の結果は二審も巨人敗訴 原監督報道は「真実」とされ、週刊文春の報道が真実だったことが明らかになったのでした。

原辰徳監督 プロフィール

原辰徳 1億円事件
(画像引用元:http://livedoor.blogimg.jp

出身地     神奈川県相模原市(現:相模原市南区)
生年月日    1958年7月22日
身長      181 cm
選手情報
投球・打席   右投右打
ポジション   三塁手、外野手、一塁手

 

1974年に東海大相模高校に入学し、1年生から三塁手のレギュラーとして活躍。夏の甲子園に3年連続で出場し、1975年の春の甲子園にも出場と活躍します。

 

東海大学政治経済学部経済学科に進学後はファンが殺到するほどの人気を誇り、1980年には日本で開催されたアマチュア野球世界選手権に、大学生としてただひとり日本代表選手に選出されるほどの実力を持っています。

 

1980年のドラフトでは巨人から1位指名で入団し、1981年に、開幕戦に6番・二塁手で先発出場します。

 

1981年には新人王、1982年には本塁打数を33に伸ばして最多勝利打点を獲得、1983年は初めて打率3割を記録して打点王、最多勝利打点を獲得して巨人の優勝に貢献し、MVPに選ばれます。

 

1987年、1988年は2年連続で3割30本塁打を記録し、その後に怪我に悩まされるが1992年に一塁手にコンバートし、入団以来12年連続20本塁打の日本記録を更新し、歴代の巨人の日本人選手として初めての1億円プレーヤーとなります。

 

その後打撃不振となり、球団創立60周年での日本一達成に貢献したが1995年に引退をします。

 

引退後の1996年にNHK野球解説者、スポーツ報知野球評論家へ就任したりと評論家となりますが、1999年に長嶋が監督の下、巨人の一軍野手総合コーチに就任しプロ野球界復帰します。

 

2001年には監督に就任し、2002年の監督初年度での日本一となります。

 

2004年から2年間は巨人軍特別顧問を務め、、タレントとしてTBSラジオの番組にも出ますが2005年のオフに後任として監督に再任します。

 

2008年には2002年以来の日本シリーズ進出を決め、2009年には日本一、2009年12月6日には2009 ワールド・ベースボール・クラシック優勝などの実績が評価され、世界最優秀監督に選出されます。

 

2012年にも年ぶりの日本一を達成し、2013年にもリーグ優勝を果たしています。

 

2015年に監督を引退して2016年に読売ジャイアンツの球団特別顧問と巨人OB会の幹事に就任しており、2017年には解説者として復帰するが2018年には監督として復帰します。

原辰徳監督の1億円事件の真相が理由で永久追放・辞任なのに復帰?

原辰徳監督が巨人監督を復帰しましたが、1億円事件の真相が明らかになっている現状は複雑な声が寄せられています。

 

そんな浮気からの暴力団がありましたが、この複雑な声をかき消すには、優勝と実績を残すしか無いと感じました。

 

せばな~