羽生結弦選手がフィギュアスケート全日本選手権で喘息モニターを付けていたことが話題になっています。

 

そんな、羽生結弦選手が付けていた喘息モニターとは?

また、羽生結弦選手が喘息モニターを付けている理由は?

 

ということで今回は、羽生結弦選手が付けていた喘息モニターと、喘息モニターを付けている理由について紹介したいと思います。

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喘息モニターとは?羽生結弦はぜんそく持ちでフィギュアスケートは始めたきっかけ?

喘息モニターとは?羽生結弦が付けた理由?

喘息モニターとは、心拍を計測することで喘息発作の予兆を感知する機械で、疲れている羽生結弦選手は喘息が起きなるかもしれないので付けていたようです。

 

喘息モニターは心拍を計測することで喘息発作の予兆を感知する機械で、喘息持ちが発作が起きた時にすぐに対応するためのようです。

 

そして、羽生結弦選手はGPファイナル等と5週で3戦目もしてかなり疲れており、疲れによって持病の喘息の発作が起きる可能性がありました。

 

そのため、羽生結弦選手の喘息が起きて命の危険性もあるため、本番のフリーでも喘息モニターを付けて、万が一喘息が起きた時にすぐに対応できるようにしていたのです。

羽生結弦 喘息
(画像引用元:https://pbs.twimg.com

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羽生結弦は2歳から喘息持ち

羽生結弦選手は2歳から喘息を持って夜も眠れない時があり、現在も喘息の発作が起きると「半分も息が吸えない」「酸素が入ってこない」と危険な状態になる場合もあったのです。

羽生結弦 喘息
(画像引用元:https://stat.ameba.jp

羽生結弦 喘息
(画像引用元:https://stat.ameba.jp

羽生結弦 喘息
(画像引用元:https://stat.ameba.jp

 

実際に2012年初戦のフィンランディア杯では、フィニッシュ後に喘息でリンクに倒れ込んだ時がありました。

実はやりきって倒れたのではなく、喘息で苦しくて胸を抑えて倒れていたようです…

 

さらに、2017年3月の世界選手権でも試合2週間前に喘息の発作が起きましたが、喘息を伏せて世界最高得点を更新して優勝しました。

羽生結弦 喘息
(画像引用元:https://stat.ameba.jp

羽生結弦 喘息
(画像引用元:https://stat.ameba.jp

 

このように羽生結弦選手は現在も喘息の発作が起きる危険性がありますが、競技がしんどいと思わずに、ただフィギュアで自分が素晴らしい演技をして勝つことを考えているのです。

羽生結弦が喘息がきっかけでフィギュアスケートを始めた?

羽生結弦選手は喘息がきっかけで母親の勧めでフィギュアスケートを始めており、もし喘息がなかったら父の影響で野球をやっていた可能性がありました。

羽生がスケートと出会ったのは4歳の頃。スケート教室に通っていた姉の練習についていったのがきっかけだったが、目的は喘息を克服することにあった。

「お母さんは結弦の喘息を心配し、なんとか治してやりたいと考えていた。ホコリを吸い込む可能性の少ない屋内でのスケートは、結弦にピッタリのスポーツでした」(前出の友人)

幼少期から羽生を指導し、現在は神奈川スケートリンクの専属インストラクターを務める都築章一郎氏は、その頃のことを次のように語る。

「元々は喘息を治すことが目的だったようですが、結弦は体幹がしっかりした子で、『才能の片鱗』が見えました。何度転んでも起き上がってきて、当時から芯の強さや、負けず嫌いなところはありましたね。『お姉ちゃんができるなら僕にだってできる』と言って、果敢にジャンプやスピンに挑戦していました。その頃からうまくいけば世界に通用する選手になると思っていました」

スケート靴を初めてはいた瞬間から、光っていた才能。だが、ここから順風満帆なスケート人生が始まったのかと言えば、そうではない。そのエピソードを明かすのは、羽生の父親の妹で、現在は保育士を務める叔母である。

兄はずっと野球が好きで、野球部の顧問も務めていました。だから、本当はゆづに野球をやらせたかったんです。小学校3~4年生の頃、スケートの練習が少し嫌になっていたゆづに、兄はこう言ったそうです。『野球のほうがおカネもかからないし、スケートが嫌なら辞めてもいいんだぞ』と」

喘息の症状が改善に向かっていたこともあったのだろう、父の提案は羽生を悩ませた。そして、悩んだ末に羽生が自分の意志で出した答えが「スケートを続ける」だった。

引用:天才・羽生結弦を育てた「羽生家の家訓」

 

羽生結弦選手は喘息持ちだったため、母親はホコリを吸い込む可能性の少ない屋内でのスケートを勧めました。

 

しかし、羽生結弦選手の父親は本当は大好きな野球を羽生結弦選手にもやらせたかったらしく、もし喘息でスケートを始めていなかったら、野球を始めていた可能性があります。

 

恵まれた体幹を持っている羽生結弦選手が野球をしていたのも面白そうですが、フィギュアスケートを選んで良かったと思います。

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羽生結弦 プロフィール

羽生結弦 太もも
(画像引用元:http://yzurulove.up.seesaa.net

愛称      ゆづ
生年月日    1994年12月7日
出生地     宮城県仙台市泉区
身長      171cm

 

4歳でスケートを始めた羽生結弦さんは、2004年10月に初出場した全日本ノービス(Bクラス)で優勝し、9歳で初めて金メダルを獲得します。

 

2007-2008シーズンでは中学1年ながら全日本ジュニア選手権で3位で、日本男子史上初の表彰台に上がり、2008-2009シーズンには全日本ジュニア選手権で初優勝を果たしています。

 

2009-2010シーズンには初戦のJGP トルン杯でJGP初優勝、世界ジュニア選手権でも優勝し、日本人男子としては初の中学生で4人目の世界ジュニアチャンピオンとなります。

 

2010-2011シーズン初出場で銀メダルを獲得し、男子選手としては四大陸選手権史上最年少のメダリスト、2011-2012シーズンには世界選手権で、初出場で銅メダルを獲得して日本男子史上における最年少記録となります。

 

2013-2014シーズンにはソチオリンピック金メダルを獲得し、史上二人目の「GPファイナル・冬季オリンピック・世界選手権」の主要3大会を全て制しての3冠達成をします。

 

2015-2016シーズンは史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手となっています。

 

それだけでなく、トータルで330.43点というスコアで再び全ての世界記録を更新し、男子選手としてISUグランプリファイナル史上初となる3連覇を成しとげています。

 

そんな羽生結弦さんは世界記録は2012~2017年の間に11回更新しており、世界ランキングは2013年10月より1位を保持している輝かしい記録を持っています。

 

2017-2018シーズンでは、平昌オリンピック金メダルを獲得して男子では66年ぶりとなる連覇を達成し、国民栄誉賞を個人史上最年少受賞します。

 

2018-2019シーズンは復帰戦オータムクラシックとロシア杯で優勝し、世界選手権では銀メダルを獲得します。

 

2019-2020シーズンはオータムクラシック・スケートカナダ・NHK杯で優勝し、グランプリファイナル・全日本選手権では2位となります。

喘息モニターとは?羽生結弦はぜんそく持ちでフィギュアスケート始めた!

羽生結弦選手は5週間で3戦とかなり疲れが溜まって持病の喘息の発作が起きる危険性があったため、喘息モニターを付けて本番も滑っていたのでした。

 

そんな羽生結弦選手ですが、この喘息持ちがあったからこそフィギュアスケートを始めたとは様々な因果があると考えさせられました。

 

今後も羽生結弦選手は喘息など気にもせずに前に進むと思いますが、今後も活躍するためにお体には気をつけて下さい。

 

せばな~

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