藤田朋子さんと検索すると「ヘアーこけし」と謎のワードが出てきますが、これが写真集販売中止問題に関係があるようです。

 

そんな藤田朋子さんのヘアーこけしとは?

また、藤田朋子さんの写真集が販売中止となり、出版プロデューサーと裁判沙汰になった経緯は?

 

ということで今回は、藤田朋子さんについて、

  • 藤田朋子のヘアーこけしとは?
  • 藤田朋子の写真集が販売中止となり、裁判沙汰になった経緯は?

気になりましたので、調べて紹介したいと思います。


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藤田朋子のヘアーこけしとは?写真集ポンで販売中止の経緯は?

藤田朋子のヘアーこけしとは?

藤田朋子さんのヘアーこけしとは、1996年3月に「遠野小説」という差し止めになったヘアーヌード写真集の一部の写真のことを指すようです。

藤田朋子 ヘアー こけし
(画像引用元:https://images-fe.ssl-images-amazon.com

1996年3月に「アラーキー」の愛称で知られる写真家の荒木経惟さんの撮影の元、作られたヌード写真集「遠野小説」にて藤田朋子さんは脱いでいます。

 

そして、この脱いでいる藤田朋子さんの写真にはこけしもあったため、そのことを「ヘアーこけし」を指しているようです。

 

画像は過激なので載せることは出来ませんが、写真集は差し止めになったこともあり、藤田朋子さんの幻の写真集として現在も「ヘアーこけし」で語り継がれているのでした。

藤田朋子の写真集が販売中止・裁判沙汰になった経緯

藤田朋子が写真集を突如出版差し止め

藤田朋子さんは写真集は撮ったが、「出版はしないという約束」と契約破棄や写真集の出発中止を訴えて差し止めとなりました。

 

1996年3月頃に藤田朋子さんの写真集は発売の段になったのですが、突如、藤田サイドからNGがかかったとのことです。

「なぜか、発売の段になって藤田サイドからNGがかかってしまったのです。確かにお尻の穴が見えそうなほど、刺激的なカットもありましたが、撮影自体は双方納得済みだったはず。それを一方的にホゴにするなど、何よりも大御所のアラーキーが面食らったでしょう」(女性誌記者)

 

また、藤田サイドは「ヌードは撮影したが、出版はしないという約束」、「公表前にネガチェックをさせなかったのは契約違反だ」と主張し、契約破棄や写真集の出発中止を訴え始めたのです。

 

当時、藤田朋子さんは朝ドラ「ノンちゃんの夢」で国民的ヒロインとなり、清純派女優として売っており、人気ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」にも出演していました。

 

そのため、清純派女優や「渡る世間は鬼ばかり」への影響を考えて、撮影はしたが販売は中止しようと訴えたのだと予測されています。

 

しかし、出版元の風雅書房と、藤田朋子さんから「裏切り者」と名指しされた出版プロデューサーの高須基仁さんは「ヌード撮影は本人も承諾しており、契約も交わしている」と真っ向から反対して泥沼化します。

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藤田朋子と裁判沙汰から写真集を強行出版

藤田朋子さんと出版側の主張が対立は裁判沙汰となり、東京地裁に出版差し止めの争いになってた、藤田朋子さんは法廷で号泣しながら写真集の不当性を訴えました。

 

ところが、この法廷で訴えた当日に、藤田朋子さんの意志関係なく写真集を予定より早く店頭に並べ、強行発売したのです。

 

この藤田朋子さんの強行販売は裁判翌日に東京地裁が出版差し止めの仮処分の決定を下し、写真集は発売即“発禁”となったのですが時すでに遅し。

書店に並んでいた初版5万部は瞬く間に完売しており、藤田朋子さんの意思を無視して、写真集は流れてしまったのです。

 

この現在なら女性軽視で炎上する出来事に、藤田朋子さんは激怒して記者会見を開きます。

藤田朋子の記者会見で報道激怒

藤田朋子さんは勝手に発売した写真集について激怒し、記者会見を開きますが、質問無しで報道陣を激怒させました

 

発売して発禁された翌日に藤田朋子さんは記者会見を開きますが、藤田朋子さんは予定より15分ほど遅れて、表情ひとつ変えずに手にした原稿を2分読み上げて会見を終わらせたのです。

 

この藤田朋子さんの対応に、質疑応答も一切なしという対応に報道陣は「こんなの会見じゃないよ!」といった怒号が飛び興奮した報道陣が藤田さんをガードする事務所スタッフにつかみかかる等。

藤田朋子さんも女性レポーターに「Getout!(出てけ!)」、出版社側のプロデューサーの高須基仁さんに「KILLERS HIM!(彼を殺す!)」等と罵倒し、人気女優のふるまいとは思えない振る舞いをして、現場は大混乱になったのです。

 

今ならマスゴミとして報道陣の態度に批判されそうですが、この時代では藤田朋子さんに同情の意見があったが、記者会見の影響で世間には「わがまま女優」とも写ってしまったとのことです。

藤田朋子の写真集差し止めの裁判の結果は?

そんな藤田朋子さんと出版社側の裁判は記者会見の2カ月後に藤田さん側に1000万円近い和解金が払われることで終わりました。

 

ただ、藤田朋子さんと出版社側のプロデューサーの高須基仁さんとの遺恨はずっと残っており、その後も争いが続くこととなりました。

18年前の写真集掲載で藤田朋子が再激怒!

藤田朋子さんと出版社側のプロデューサーの高須基仁さんとの遺恨は残り、18年後にまたしても藤田朋子さんを無視して写真集の一部を載せたのです。

 

事件は2014年に出版社側のプロデューサーの高須基仁さんは「FLASH」にて「独占スクープ掲載! 藤田朋子 幻のヘアヌード」「出版プロデューサー・高須基仁責任編集」と銘打たれた袋とじは全8ページにて掲載したのです。

 

当然、藤田朋子さんは許可していないので出版プロデューサーの高須基仁らに「抗議書」を送付し、再び裁判沙汰になったのです。

 

そんなまたしても藤田朋子さんの意志を無視して出版したのは、かなり出版プロデューサーの高須基仁さんが藤田朋子さんを恨んでいたからです。

 

記者会見でも藤田朋子さんは高須基仁さんを「KILLERS HIM!(彼を殺す!)」等と罵倒。

さらにこの藤田朋子さんの事件で、発行元の出版社は倒産の憂き目にあって路頭に迷った人間もいたことから、責任者の高須基仁さんは激怒していたのです。

 

まさかの男性側からのリベンジポルノで、現在なら女性軽視・差別で炎上騒ぎですが、高須基仁さんの怒りは収まらず、18年越しに写真集の一部を掲載したのです。

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藤田朋子 プロフィール

藤田朋子 ヘアー こけし
(画像引用元:https://i1.wp.com

本名      桑山 朋子(旧姓:藤田)
生年月日    1965年8月3日
出生地     東京都世田谷区
身長      159 cm
血液型     A型
職業      女優
ジャンル    テレビドラマ、映画、舞台
活動期間    1987年~
事務所     ホリプロ・ブッキング・エージェンシー

 

タケカワユキヒデのファンで、その関係から奈良橋陽子の劇団に籍を置いたことで、女優として活動を開始します。

 

1987年にミュージカル「レ・ミゼラブル」が初舞台を踏み、1988年には、NHK連続テレビ小説「ノンちゃんの夢」でテレビデビューし知名度を高めてます。

 

1990年からは人気ドラマシリーズ「渡る世間は鬼ばかり」に出演したことで知名度・人気を高めています。

 

以降は女優として活躍していき、「火曜サスペンス劇場」「金曜エンタテイメント」「土曜ワイド劇場」等のドラマや、舞台にもコンスタントに出演しています。

 

また、バラエティ番組にも現在も「有吉ゼミ」等に積極的に出演しています。

藤田朋子のヘアーこけしは写真集?販売中止の経緯がヤバイ!

藤田朋子さんのヘアーこけしとは、差し止めになった伝説の写真集のことでした。

 

そして、この差し止めになった写真集の騒動は現在も遺恨が残っており、強行出版したりと今なら絶対に炎上になることもしていたのでした。

 

今後もこの遺恨はずっと残っていると思うので、藤田朋子さんと出版社側の高須基仁さんが関わらないことを祈ってます。

 

せばな~