2016年9月6日放送の「林修の今でしょ!講座」で紹介される遠山の金さん。

「遠山の金さん」こと遠山金四郎といえば劇中では町奉行としてエリートで偉人だったようですが、実際はどうだったのか紹介するようです。

 

そんな遠山の金さんこと、遠山金四郎さんですが、

遠山金四郎は本当は遊び人だった?

本当に劇中の遠山の金さんのようにエリートで偉人だったの?

気になりましたので、調べて紹介したいと思います。

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遠山の金さんは若いころは刺青して遊び人だった?エリートに転身し偉人と変貌?

遠山の金さん 遊び人

実は遠山金四郎は家庭環境が複雑だったため、若い頃は問題児で家出を度々して放浪していました。

そのため、同じグレた仲間と混じって女と酒の三昧の生活をしていたとのこと。

 

また家出中には食べていくために「吉村金四郎」という芸名で歌舞伎の森田座で囃子をやっていたりと、1人で遊びながら生活をしていたようです。

 

そして「遠山の金さん」といえば花吹雪の刺青が有名ですが、実際の刺青の絵は「美女の生首」という諸説が有ります。

 

遠山金四郎は袖でめくれるとすぐに正す癖があって、暑くても肌を見せることがなく実は刺青をしていなかった説もあります。

 

しかし、喧嘩になった時に遠山金四郎の「美女の生首」の刺青を見て驚いたという話が、雑誌が明治に書かれており信ぴょう性は高いようです。

 

そんな悪い友達と混ざって女や酒三昧、喧嘩にも明け暮れて、人々が驚くような刺青をしている若いころは、やはり遊び人だったのでしょう?

遠山金四郎、遊び人だった経験を活かす!庶民の気持ちがわかるエリート町奉行に!

遊び人だった遠山金四郎ですが、北町奉行に就いた時は厳しく取り締まり「名奉行」として活躍をしていました。

 

この頃は庶民は娯楽の取り締まりが厳しく、遠山金四郎も北町奉行として厳しく取り締まっていました。

 

しかし、庶民の生活経験がある遠山金四郎はあまりにも厳しくて庶民から不満が出ていることを察して「流石に厳しすぎる」と意見を言っていました。

 

そんな庶民の為に救済措置を取っていた遠山金四郎さんは庶民からの支持が厚く、一時は対立してた鳥居によって左遷させられましたが、知略を活かして反撃します。

 

対立してた鳥居を失脚させて、遠山金四郎は今度は北町奉行だけでなく異例の南町奉行も務めて、その後はエリート街道まっしぐらで出世していきました。

 

遠山金四郎さんは若いころは遊び人でしたが、その経験を活かして劇中通り、庶民の気持ちをくむことができる「名奉行」としてエリートでした。

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遠山金四郎、遊び人は本当!遠山の金さん通りエリートで名奉行だった!

どうやら遠山金四郎さんが遊び人だったのは本当のようですね。

 

しかし、その経験を活かして後に名奉行として後にエリートになるという本当に「遠山の金さん」の劇中通りの方でした。

 

みなさんもこれを知ればもっと遠山の金さんが好きになったはずです!

 

せばな~