2016年7月16日放送の「ろうを生きる 難聴を生きる」で紹介される田村聡さん。

 

田村聡さんは登山家ながら、聴覚障害者として全く耳が聴こえないというハンディを背負っています。

しかしそれにめげず、あらゆる山を登り続けて、更にはエベレストに挑戦するという…

 

そんな田村聡さんですが、

なぜ難聴なのに登山家になったの?

エベレストを登ろうとしたきっかけは?

エベレスト挑戦はどうなったの?

気になりましたので、調べて紹介したいと思います。

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難聴!エベレストに挑戦した田村聡について!登山家になったきっかけは?

田村聡プロフィール

田村聡

生年月日    1965年
出身地     東京

 

田村聡さんは産まれた時から耳が聴こえないという聴覚障害者でした。

 

しかし、めげずに山好きの父と叔父の影響で13歳から山に登り始めました。

 

その時から北アルプスを登ったり、クライミングも経験もしており、現在は登山歴37年。

国内の山は1000回以上登っており、冬山、夏山は季節を問わずに挑戦をしています。

 

耳で危険を察知できない分、目で見て判断して危険を察知しているようです。

耳が聞こえない分、目が常人よりかなり冴えているんですね。

 

それだけでなく、アスリートとして「世界一過酷なモータースポーツ競技」のパリ・ダカールラリー二輪出場、国内ラリーレース入賞数回、他にもオリエンテーリングアジア大会M45クラス優勝として活躍をしています。

 

単純に登山家ではなく、難聴というハンディがありながらかなりアスリートとして活躍をしているようですね。

むしろ常人よりかなり優れているスポーツエリートに見受けられます。

田村聡の夢!エベレスト登頂のきっかけは?3度目の挑戦!

1980年、田村聡さんが高校生の時に新聞の見出しを見て衝撃が走ったようです。

 

なんと日本の隊が北壁から世界初のエベレスト登頂を成功したという快挙が報道され、これを見て田村聡さんは、いつか自分もエベレストを登頂するんだという夢を抱いたそうです。

 

その夢を抱き、田村聡さんは様々な山を登り続けて、ヒマラヤ チョ・オユー(8201m) 登頂に成功し、一緒に登った登山者からもお墨付きをもらって遂にエベレストを挑戦します。

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二度のエベレスト登頂の失敗!三度目の正直!

2014年5月に田村聡さんは初のエベレスト登頂に挑戦します。

 

しかし、初挑戦のためかうまくコミュニケーションがとれず困ったり、体調も崩したりと悪戦苦闘。

標高7950メートル地点で悪天候のため、断念することになりました。

 

翌年2015年4月に2回目のエベレスト挑戦に挑みました。

 

今度は、ネパール大地震が起きてしまい、ネパール側のエベレスト南面で大規模な雪崩が起きて多くの死傷者が出ました。

 

田村聡さんは無事でしたが、中国政府からも登山中止の通達もあり、2回目の挑戦は運悪く失敗に終わりました。

 

命があっただけでも幸運だったでしょう、しかし田村聡さんは今まで準備してきたのが天災で無駄になったのは、なんともやりきれない思いだったのでしょう。

 

そして2016年三度目のエベレスト挑戦にて聴覚障害者として初めてエベレスト登頂に成功します。

 

三回目も酸素マスクのトラブルで無酸素状態の登山となったりと苦難が有りましたが、遂に田村聡さん夢であるエベレスト登頂に成功しました。

登山家・田村聡、夢のエベレスト登頂成功!次の挑戦は?

高校生のときからずっと夢だったエベレスト登頂を叶えた田村聡さん。

 

夢を叶えた田村聡さんですが、

「これからもいろんな山に挑戦したい。アフリカのキリマンジャロ?

あれは簡単らしいから、別の7千、8千メートル級にね」

ともっと過酷な登山に挑戦していくようです。

 

これからも耳が聞こえないという聴覚障害を持ちながら、登山家として登り続けて、アスリートとしても活躍をして障害者に夢を与え続けてください!

 

せばな~