2017年3月12日放送の「林先生が驚く初耳学」ではあの幕末の英雄・高杉晋作さんの愛人に送った手紙が公開されます。

 

長州藩士・高杉晋作といえば、将来有望な逸材で「松下村塾四天王」の一人となり、奇兵隊を作り外国に占領された土地を死守し、また幕府とは圧倒的兵力差から勝利して幕末の終焉を向かわせた立役者です。

 

そんな偉人が愛人をもち、不倫をしていたとは、どんな経緯で本妻とはどうなったのでしょうか?

 

ということで今回は、愛人をもち、不倫を経緯を紹介してきたいと思います。


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高杉晋作がおうのと不倫?愛人との浮気で馴れ初めや経歴は?本妻はどうした?

実際に高杉晋作さんは下関の花街で芸妓だった愛人・おうのさんと不倫関係でした。

高杉晋作 不倫
(画像引用元:http://bakumatsu.org

 

そのときには長州藩士の家の出の高杉雅子さんという正妻がいて、子供もいました。

高杉晋作 不倫
(画像引用元:http://bakumatsu.org

 

実は当時、妻子を持つ男性が愛人を作ることをさほどうるさく言わない時代でした。

 

しかし、倫理的にはやはりゲスなので、高杉晋作さんといえど後ろめたさが残っていたのかもしれません。

 

そのため、妻子がおうのさんのいる下関に越してきた時は、愛した二人の女性の確執・関係に苦悩した手紙を記していたほどでした。

愛人・おうのとの馴れ初めは?

1843年に生まれたおうのさんは、11歳で下関の妓楼堺屋に売られ、芸妓として育てられてきました。

 

15歳になって芸妓となったおうのさんは、20歳の時に下関で奇兵隊を結成して、遊びに来ていた高杉晋作さんと出会います。

 

当時、高杉晋作さんは長州に高杉雅子さんという正妻がいて、長男が生まれていました。

 

しかし、おうのさんの美貌に惚れて、1863年におうのさんをお金を払って妾にしました。

高杉晋作 不倫
(画像引用元:http://imgc.nxtv.jp

また当時、高杉晋作さんは苦しい状況で、正妻の高杉雅子さんとは真逆のおっとりとした性格に愛しさを感じ、下関に滞在した時は出来る限りそばに置いたようです。

愛人・おうのと一緒!正妻と鉢合わせ!

1865年3月には功山寺挙兵に成功し、攘夷派が長州藩の政権を握りましたが、高杉晋作さんは下関開港を推し進めたことにより、攘夷・俗論両派に命を狙われました。

 

そのため四国へ逃れ、日柳燕石さんに頼りますが、その時に三味線を抱えて愛人のおうのさんと同行していたようです。

 

また処分を受けて、おうのさんを豪商・白石正一郎さんに預けた時は、人が良すぎるおうのさんに「人になぶられないように気をつけよ」と注意・心配の手紙を出しています。

 

そんな、おうのさんの事を肌身離さず愛してしまった高杉晋作さんですが、1866年2月に肺結核が悪化し、下関におうのの側で療養していました。

 

しかし、そこに高杉家から本妻である高杉雅子さんと長男である高杉梅之進さんが訪れ、初めて愛人おうのさんと対面しました。

高杉晋作 不倫
(画像引用元:http://ameblo.jp

 

この修羅場に高杉晋作さんは困り果てて、同じ長州藩と共にした桂小太郎さんに手紙を書き留めるほどでした。

 

ところが、結局本妻である高杉雅子さんとは7年余りの結婚生活の内、1年ほどしか同居せずに、ほとんどおうのさんと同居していたそうです。

高杉晋作死後、愛人・おうのと正妻・高杉雅子が約束を守る

おうのさんと一緒に暮らしていた高杉晋作さんですが、本妻である高杉雅子さんが訪れたため、今まで看病してくれたおうのさんを遠ざけて、そのまま1867年4月14に家族に看取られて亡くなります。

 

そんな高杉晋作さんは死ぬ前に、死期を悟り、おうのさんの将来を考えて、自分が死んだらその墓を守って暮せば伊藤博文や井上馨が援助をしてくれると遺言を残しました。

 

そして、おうのさんは、高杉晋作の名を他の男と仲良くなって汚さないように仏門に入り梅処尼となり、高杉晋作さんの遺言をしたがって墓を守って援助を受けました。

高杉晋作 不倫
(画像引用元:http://ameblo.jp

 

また正妻である高杉雅子さんは、まだ当時は20歳で美女でしたが、高杉晋作さんが生前に残した「自分が死んでも再嫁にならず、高杉家を守って欲しい」という約束を守り通しています。

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愛人おうのと正妻高杉雅子は仲良し?高杉家を守る!

明治維新後に高杉家は東京に移住していましたが、おうのさんと高杉雅子さんは手紙をやり取りを続けていて、更におうのさんが東京に来たときには高杉家に宿泊するほどの関係だったようです。

 

部屋住みあつかいの身分されないように、谷に姓を変えられた時に、高杉雅子さんの息子長男の梅之進さんが谷家の当主として自立できるよう援助を続けていました。

 

その後、立派に育った梅之進さんが、1887年に高杉に姓を戻し、高杉家を存続しようと努めていったのです。

 

高杉雅子さんとおうのさんは、正妻と愛人ということで確執はあったものの、愛する高杉晋作さんの約束を守り、高杉家を守ろうとしてました。

 

そして、おうのさんは実の息子のように梅之進さんを可愛がり、高杉家を存続しようさせようとしていたのです。

 

その後は高杉の墓を守ってきたおうのさんは1909年8月7日に死去し、墓は高杉晋作さんの墓を見上げる形で今も現存してあります。

高杉晋作 不倫
(画像引用元:http://webkohbo.com

高杉晋作が不倫?愛人おうのと浮気をしたが正妻と仲良く高杉家を守った!

高杉晋作さんは愛人をつくり、ほとんどその愛人であるおうのさんと暮らしていたようです。

 

しかし正妻である高杉雅子さんは夫の約束を守り、愛人であるおうのさんも約束を守っていたりと、どちらも高杉晋作さんを本当に愛していたのでしょう。

 

だからこそ、高杉家を守り、存続させたのでしょう。

 

そんな、豪快で奇抜な高杉晋作さんと思いきや、恋愛に関しては頭を悩ませていた高杉晋作さんでした。
せばな~