2017年3月13日放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に出演する瀬古利彦さん。

 

瀬古利彦さんはマラソンで優秀な成績を残り、日本マラソン界のレジェンドと言われている方です。

 

そんな方ですが、なんとオリンピックだけは駄目になるというしくじりを見せます。

 

なぜオリンピックになると駄目になってしまうのでしょうか?

 

ということで今回は、なぜ瀬古利彦さんがオリンピックになると惨敗結果に終わる理由を調査していきたいと思います。


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瀬古利彦がオリンピックで惨敗結果だった理由?なぜ五輪だと不成績に?

瀬古利彦 オリンピック
(画像引用元:http://news.mynavi.jp

生年月日    1956年7月15日
出身地     三重県桑名市
身長      170cm
競技      陸上競技
種目      長距離走・マラソン

 

マラソン戦績は15戦10勝と驚異的な勝率を誇っている瀬古利彦さん。

 

瀬古利彦さんはマラソンを走り始めた最初の2試合と初海外レースとなった79年のボストンマラソン、84年のロサンゼルス五輪、88年のソウル五輪以外は全て勝っています。

 

更に1983年2月の東京国際マラソンでは2時間8分38秒と日本最高記録、日本人初の2時間8分台、当時世界歴代3位という好記録を叩き出すのです。

 

他にも1981年2月の青梅マラソンではモスクワ五輪銀メダリストのゲラルド・ネイブールさんに圧勝し、このときの記録1時間29分32秒は現在も破られていません。

 

それだけでなく、1981年3月22日ニュージーランド・クライストチャーチでの記録会でレースで25000m(1時間13分55秒8)と30000m(1時間29分18秒8)の当時の世界記録を同時に樹立しています。

瀬古利彦がオリンピックを3度も逃す?惨敗結果の成績の理由?

瀬古利彦さんはホープと言われていた24歳の時に、1980年モスクワオリンピックがありました。

 

1979年に海外レース初挑戦となるボストンマラソンに出場では2位となり、その時に出したの記録2時間10分12秒は日本学生新記録を出します。

 

更に同年12月の福岡国際で宗兄弟との接戦を制して連覇で、モスクワオリンピックの代表に選出されました。

 

しかし、米国が政治的な要因でボイコットし、日本も米国に同調せざる得ない状況ボイコットし、代表が決まっていたモスクワオリンピックメダルを獲得するチャンスを逃していたのです。

 

そして金メダルを期待された84年のロサンゼルス五輪で14位、ピークを過ぎて迎えた88年のソウル五輪で9位と惨敗に終わりました。

ロサンゼルス五輪で惨敗した理由?

瀬古利彦さんは当時「日本最高記録」「日本人初の2時間8分台」「当時世界歴代3位」という好記録をだしていたので、ロサンゼルスオリンピックの金メダル候補として注目を浴びていました。

瀬古利彦 オリンピック メダル
(画像引用元:https://image.middle-edge.jp

更に福岡国際マラソンでも優勝し、ロサンゼルスオリンピックの代表に選出されています。

 

それだけでなく、「ラスト400mでは世界に敵なし」と言われて、ロサンゼルスオリンピックでの金メダルの期待を高めていました。

 

しかし結果は14位と惨敗します。

ストレス発散で美女に呆けていた?

当時金メダル候補と言われて、プレッシャーと不安が瀬古利彦さんにもありました。

 

そんな不安を取り除くために、金髪ガールフレンドとディスコ通いをしていたそうです。

 

更に日光浴をしていた全裸の女性に見とれて、足をひねり大怪我をしてしまうのです。

 

まだ若く、不安を解消するために女性に見とれるのも分かりますが、大事な足を怪我するまで呆けていたのです。

体調不良で血尿?

ロス五輪年の1984年は年始めから常に体の倦怠感に悩まされていた瀬古利彦さん。

 

しかし、ぐったりした体に鞭を打ち、疲労が抜けないにも関わらずにハードな練習を継続していました。

 

流石に休もうと思った瀬古利彦さんでしたが、7月の北海道合宿中には中村監督から「癌になった」と打ち明けられて頼むタイミングを失ってそのまま練習を続けます

 

そのため本番2週間前にはストレスから血尿が出て、ドーピング回避のため漢方薬を飲んでいましたが、下痢による脱水症状と絶不調になるのです。

調整ミス?

体調不良のきっかけを作ったハードな練習をし続けた瀬古利彦さん。

 

実はロス五輪年の1984年の翌年12月の福岡国際で優勝してから抜く時期を作らないで、本練習に入っており、その調子を8月まで続けようと無茶な調整に入っていたのです。

 

また、はロサンゼルスの酷暑対策として、グアムやニュージーランドで合宿を続け、東京で最終調整を行っていました。

 

しかし、東京よりもロサンゼルスの方が涼しく感じ、酷暑対策のために海外の合宿や、早くロサンゼルに行って調整すればよかったと瀬古利彦さんは思ったそうです。

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夏マラソンが未経験だった?

連戦連勝を重ねていた瀬古利彦さんでしたが、冬や春先の寒い時期のマラソンで、初めて経験する夏マラソンでした。

 

そんな未経験の夏マラソンで、いつもの経験とリズムがつかめなかったのが最大の敗因と瀬古利彦さんは語っています。

ソウル五輪で惨敗した理由?

ロサンゼルオリンピック後も、1986年のロンドンマラソン、同年10月のシカゴマラソンで優勝と衰えない瀬古利彦さん。

 

特に1987年4月ボストンマラソンでは、強豪ランナー同士がひしめき合う中で優勝します。

 

更に当時世界最強とみなされていたジョーンズは「瀬古はグレート。世界ナンバーワンだ。」と言われるほど、賞賛を浴びます。

瀬古利彦 オリンピック なぜ
(画像引用元:http://www.sanspo.com

そんな中で満を持して挑んだソウルオリンピックでしたが、9位とこれまた惨敗してしまうのです。

ピークを超えたから?

現在は、30代前半はマラソン選手としてはピークの時期に入ります。

 

瀬古利彦さんは当時、32歳とピークの時期に入っているようですが、昔の場合はピークを過ぎたと言われています。

 

確かに昔は根性論で無理をして練習をする傾向があるので、故障もしやすくピークの時期が現在と違って30代前半でも過ぎていたのかもしれません。

 

実際に、びわ湖毎日マラソンに優勝して一応ソウルオリンピック代表となりますが、優勝タイムは平凡な記録に終わっています。

怪我をしていた?その後も不調だった?

実は1988年ソウルオリンピック翌年の1987年の福岡国際マラソンを負傷のため欠場をしていました。

 

その後にソウルオリンピックに選ばれますが、平凡な記録でしたし、そのまま不調で終わったのかもしれません。

なぜ惨敗結果に?3度も瀬古利彦がオリンピックメダルを逃した?五輪不成績の理由?

モスクワオリンピックでは政治的な理由で、そして満を持して出場したモスクワオリンピック、ソウルオリンピックでは成績をふるわなかった瀬古利彦さん。

 

マラソン界のレジェンドでもオリンピックというのは、それだけ厳しく異色な大会なのですね。

 

現在は日本マラソン界を盛り上げるために尽力していると思いますが、瀬古利彦さんのようにメダルを取れるべくして取れない悔しい選手を作らない等に指導のほど、頑張ってください!!

 

せばな~