2016年12月19日放送の「世界まる見え!テレビ特捜部」では一日にして火山灰にのまれた帝国ポンペイについて紹介されます。

 

帝国ポンペイは火山噴火によって1日で死の街へとなってしまいましたが、石膏による復元でそれまでポンペイで暮らしていた住民の生活が明らかになりました。

 

そんな帝国ポンペイで暮らしていた人々はどんな生活を送っていたのでしょうか?

 

ということで今回はポンペイ帝国についてどんな生活、制度だったのか、気になりましたので、調べて紹介したいと思います。


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ポンペイ火山噴火から石膏復元で解明した生活・制度?

帝国ポンペイは西暦79年8月24日にイタリアナポリ近郊のヴェスヴィオ火山が突然噴火して、ポンペイの市街が約8メートルの火山灰により埋没して死の町へと変えられました。

 

そんなポンペイ人々は約半数の人は避難しましたが、大切な財産を守るため等の理由でとどまってしまい、そのまま巻き込まれてしまいました。

 

逃げ遅れた、とどまった人々は高熱のガスで窒息死し、その上に灰が降り積もり、灰は硬く固まり、遺体は朽ちて遺体をかたどった空洞だけが残りました。

 

しかしポンペイを調べている研究者は、その空洞に石膏を流し込むことで、その瞬間の人々の姿を浮かび上がらせて、ポンペイの文化を知る手がかりを見つかりました。

ポンペイ 石膏
(画像引用元:http://karapaia.com/archives/52192827.html)

それだけでなく、地下室から54人もの遺体も見つかり、そこからも時代背景を究明する手がかりを見つけました。

帝国ポンペイの生活や文化、街並みは?奴隷制度があった?

街並みは綺麗だった

ポンペイの町は碁盤の目状に通りがあり、大きな通りは石により舗装されて街並みも賑わっていたようです。

ポンペイ 火山噴火
(画像引用元:http://eritokyo.jp/independent/today-column-amalficoast11.htm)

市の中心には広場があり、住居や劇場、公衆浴場、娼婦の館などが発掘されています。

 

それだけでなく下水道も完備と排泄物は道路の下を流れる仕組みもありました。

贅沢で娯楽と享楽的な暮らしぶり

娼婦の館があったりと娯楽もあるほどの贅沢をしていたポンペイの住民。

 

他にも壁画やモザイク画、市民が記した落書き等で贅沢をしていた事がわかります。

 

ポンペイはどうやら商業が盛んで、商人向けの娼婦館のような娯楽施設が多かったようです。

さまざまな身分と奴隷でも成功していた

地下室から54人もの遺体が見つかり、このことで当時奴隷制度もあった身分の違いがありましたが、奴隷でも自由である事が分かってきました。

ポンペイ 火山噴火
(画像引用元:http://blogs.yahoo.co.jp/ilcinghiale118/34801758.html)

遺体には奴隷にように見えるアフリカ系男性もいましたが、この方は装飾を身に着けている事により、奴隷ではないと考えられました。

 

実はローマ帝国では奴隷は人種とは関係なく、奴隷でも自由な身分となって成功をおさめる人もいたようです。

 

そしてポンペイの住民も4分の3は奴隷出身でありながら、市民としての権利を手に入れて地位や名声、大きな富を得ることも可能だったということが分かりました。

 

ポンペイはそういった実力主義で身分を変えれるチャンスがあり、だからこそ商業都市として発展していったのかもしれませんね。

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ポンペイ火山噴火から石膏復元で解明した真相は商業都市として発展していた!

商業都市として発展して、身分も地位や名声を手に入れれば奴隷も関係ないと自由な街だった帝国ポンペイ。

 

石膏による修復作業では、火山噴火による被害の酷さを物語りましたが、それだけでなくポンペイの文化を知ることが出来たりと、研究者にとっては真相に近づけたようです。

 

これからも帝国ポンペイの歴史を究明して、当時の歴史を明らかにして下さい。

 

せばな~