かつて日本のフォークデュオ「19(ジューク)」のメンバーとしてブレイクした岩瀬敬吾さん。

 

最近は相方である岡平健治さんが出演していましたが、岩瀬敬吾さんは現在どんな活動をしているのでしょうか?

また19はなぜ絶頂期に解散をすること決めたのでしょうか?

 

ということで今回は、19の岩瀬敬吾さんの現在と19が解散した理由を調査していきます。


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19の岩瀬敬吾 プロフィール

岩瀬敬吾 現在
(画像引用元:http://liveschedule.up.seesaa.net

生年月日    1978年8月29日
出身地     広島県東広島市(旧賀茂郡)黒瀬町
デビュー    1998年

 

高校3年の夏にティーンズミュージックフェスティバルで岡平健治さんと出会った岩瀬敬吾さん。

 

1998年の春に広島から大阪でのライブ活動を経て上京し、「少年フレンド」というユニット名で岡平健治さんと活動を開始しました。

 

同年にイラストレーターの326さんと出会い、「19(ジューク)」を結成し、11月21日に「あの青をこえて」でメジャーデビューします。

 

2ndシングル「あの紙ヒコーキ くもり空わって」ではTBS「1999・春」キャンペーン・ソングに決定と話題となり、アルバム「音楽」は売上100万枚を記録しています。

 

3rdシングル「すべてへ」もオリコン1位を記録しており、2000年に行われたシドニーオリンピックの日本代表選手団公式応援ソングとして「水・陸・そら、無限大」が起用されて、同曲で2度めのNHK紅白歌合戦出場を果たしています。

 

更にその後のアルバム・シングルともにスマッシュヒットを連発し、武道館2Daysはチケット販売開始5分で完売など社会現象を起こすまでとなりました。

 

しかし、そんな人気絶頂期ながら2002年2月に「19(ジューク)」は解散することを発表しました。

岩瀬敬吾の解散その後の現在は?19の解散理由は取り巻く環境?

19の解散理由は?

岡平健治「30%は音楽性の違い。70%は周りを取り巻く環境からちょっと抜け出したかった。
約200万枚くらいは印税が入らなかった。200万枚といえば約2億5000万円くらい」

突如解散した19は実は、326さんが岩瀬敬吾さん、岡平健治さんから相談されずにテレビで初めて知り、事後報告もなかったとのことです。

 

そんな確執があったりと、やはり解散理由の周りの取り巻く環境が70%とのも頷けます。

 

また仲が悪くはありませんでしたが岡平健治さんと岩瀬敬吾さんも2005年のベスト盤製作まで再会しておらず、それまで自分の仕事に熱中していることから音楽性の違いもあったのでしょう。

 

ちなみに326さんと確執がありましたが、岡平健治さんと326さんは再会して19を復活したいと展望していたので、時の流れで関係は修復したようです。

19の解散その後の岩瀬敬吾は?

19が解散した2002年にはシングル「くり返すは口ぐせと罪悪感」でソロデビューをした岩瀬敬吾さん。

 

2006年11月22日シングル「ノイズとため息」、2007年3月7日3rdアルバム「Bright day」では、タワーレコードインディーズチャートで初登場1位を獲得しています。

19 解散理由 岩瀬健吾
(画像引用元:http://pds.exblog.jp

また2011年には自主レーベル「Nakemiin Records」を立ち上げたりと音楽活動をしながら、2012年には呉観光特使に任命されています。

 

岩瀬敬吾さんは19解散後もすぐ音楽活動を開始し、現在もコンスタントに楽曲をリリースしているようです。

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岩瀬敬吾の現在は3児のパパ!

2015年には「KO-I-NOフェス」というバンド名でライブ活動、2016年からはアコースティックトリオ「Norsu Trio」でも活動と様々なバンドで音楽活動をしている岩瀬敬吾さん。

 

そんな音楽一色かと思いきや、現在は3児父親になっていたのです。

岩瀬敬吾 現在
(画像引用元:http://s-bellkochan.com

子育ては田舎でやっているらしく、嫁は同じ広島出身で美人とのことです。

19の解散その後も音楽活動!岩瀬敬吾の現在は3児の父親!

19解散その後もすぐにソロで音楽活動をし、現在も勢力的に音楽活動をしている岩瀬敬吾さん。

 

またいつのまにか3児の立派な父親となっているようです。

 

岩瀬敬吾さんはいろんなバンドを掛け持ちでやっているようですが、今度は19も復活してやって頂けるとうれしいですね!

 

今後も音楽活動をし、いつか326さん、岡平健治さんと交わるときが来ることを祈っています!

 

せばな~