2017年9月10日放送の「林先生が驚く初耳学」では伊藤博文の女好き不倫スキャンダルが紹介されるようです。

 

初代総理で日本の歴史でも偉大な方の一人ですが、実はかなりの女好きで芸者遊びに明け暮れて愛人を何人も抱えるほどだったのです。

 

そんな伊藤博文はどれくらい女好きだったのでしょうか?

 

ということで今回は、伊藤博文の女好きエピソードを交えて、どれくらい女好きだったのか紹介したいと思います。


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伊藤博文の女好きエピソードまとめ!名言残し、愛人も何人も抱える!

初代総理として日本の歴史に名を残した伊藤博文ですが、プレイボーイ、女好き、女たらし、絶倫男、日本一の不倫男と言われています。

 

スキャンダルは毎度のことで「博文のいくところ、必ず女あり」と言われていました。

 

特に芸者遊びは酷く、具合が悪くても両隣にはいつも芸者がいたり。

1人の芸者と寝る時はもう1人を別室に待機させ、情事が終わるともう1人を呼んで川の字になって寝てもいたとのことです。

 

そんな芸者をとっかえひっかえしているしていることから、女を掃いては捨てを繰り返した意味で付いたニックネームは「ほうき」でした。

 

そして、あまりにも伊藤博文が女好きで明治天皇の耳にも入り、「少しは慎んではどうか」とお叱りの言葉を与えました。

「博文をとやかく申す連中の中には、ひそかに囲い者など置いている者もいますが、博文は公許の芸人どもを公然とよぶまでです」

ところが、伊藤博文は芸者遊びが恥ずべき行為でないと主張して、女遊びは辞めないと明治天皇の前で公然と言ってのけたのです。

イギリスでも女遊び

1863年に伊藤博文が長州藩士だったころ、藩からの命令で井上馨らとともにイギリスに留学していた時期がありました。

 

伊藤博文さんはイギリスの人情風俗や文明の調査をするということで、他の留学生より資金を貰えていたようです。

 

しかし、その多く貰った資金を使って現地のいかがわしい町に入り浸って遊んでいたのです。

 

そんな伊藤博文の留学してまでの女遊びが問題となり、帰国させられそうになったとのことでした。

 

ただ、井上馨達が仲介に入ったことでなんとか帰国は免れたようです。

離婚して芸者の娘・梅子と再婚

伊藤博文には英国留学前に結婚したおすみという女がいましたが、帰国後は芸者のお梅のところに来ては遊んでいたのです。

 

そんな嫁となるお梅さんは攘夷派から売国奴として命を狙われた時に、匿ったと言われてもいます。

 

伊藤博文さんは芸者のお梅とよく遊び、伊藤博文の子を身ごもってしまいます。

 

そのため嫁のおすみとは離婚して、お梅と結婚して正妻にし、梅子と名のらせたのです。

 

そして、梅子は伊藤博文の女遊びに寛容で許し、伊藤博文も一番頭が上がらぬ人だったのです。

嫁の梅子も激怒したお仲との関係

伊藤博文は1986年に兵庫県令(知事)に就任しましたが、この時期に福原遊郭で料理屋兼宿泊業を営む千崎弥五平の娘・お仲と関係を持ったとのことです。

 

そして、この関係に気づいた嫁の梅子は激怒して、伊藤博文を叱ってお仲との関係を絶ちますが、ほどなくしてお仲との関係を戻していました。

 

そのため、梅子は井上馨に頼みこんでお仲を兵庫県の巡査と結婚させることを企て、伊藤博文との関係を絶たせたのです

令嬢とスキャンダルで政界で大問題!

伊藤博文は芸者だけでなく、水商売以外の女性にも手を出したことで政界を揺るがすスキャンダルも起こしています。

 

1887年、伊藤博文が首相だった時に首相官邸で仮装舞踏会が行われ、皇族や上流婦人が集っていました。

 

その中で、「鹿鳴館の華」と呼ばれ、岩倉具視の三女で、戸田氏共伯爵の夫人の戸田極子が伊藤博文の毒牙にかけられたのです。

 

伊藤博文は戸田極子に関係を迫りますが、この事件が新聞沙汰となり、乱暴したとか、馬車の中で事に及んだとか、裏庭で迫った等とマスコミが面白おかしく書き立ていったのです。

 

そして、その後に関係を迫った戸田氏達が異例の出世を遂げたことから伊藤博文は総理の権力を使って、事を収めたとして批判されてもいます。

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日清戦争時も芸者遊び

伊藤博文は「政治は夜、動かされる」との言葉通り、夜に料亭で芸者をあげて政治談議をしながら芸者遊びをしていた方です。

 

1894年に日清戦争で広島に日本軍の本拠地が置かれ、伊藤博文も総理としていましたが、戦争中でも広島で芸者遊びをしていたのです。

 

そして、講和交渉中、清国側の代表・李鴻章が狙撃されるという事件起きて報告を受けた際も、伊藤博文は芸者と一緒にいたとのことです。

総理辞めた後も公然と愛人と出かける

1896年に伊藤博文は総理を辞しましたが、その翌年1897年に名古屋で芸者・桃吉と出会い、またしても惚れて遊びます。

 

しかも1898年には芸者・桃吉の願いで、一緒に千葉県の成田山参詣に出かけたりと、元総理が公然と愛人を抱えて出掛けていたのです。

伊藤博文は愛人多数で女好き!天皇にもビビらず名言残す!

女遊びが盛んで総理となっても芸者遊びだけでなく、婦人とも関係を迫ってスキャンダルが絶えなかった伊藤博文。

 

そして明治天皇にまで、芸者遊びが恥ずべき行為でないと言ってのけたりと凄いですね。

 

正直、現代ならありえない総理ですが、こういった方だったからこそ、初代総理として豪快に活躍して日本を支えたのかもしれません。

 

しかし、何度も言いますが現代なら絶対やっていけないことですので、伊藤博文のように女遊びはしないでくだいさいね。

 

せばな~