2017年10月21日放送の「有吉反省会」ではアーティスト八反安未果さんが出演し、母親をコキ使って人形を作らせていることを反省します。

 

そんなコキ使ってまで作らせたバレリーナ人形とはいくらで、どんなクオリティなのでしょうか?

また、八反安未果さんがコキ使っている母親はどんな方なのでしょうか?

 

ということで今回は、八反安未果さんが作らせている人形と、母親はどんな人物なのか調査したいと思います。


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八反安未果 プロフィール

八反安未果 母
(画像引用元:https://scontent-sit4-1.cdninstagram.com

生年月日    1980年10月3日
出身地     埼玉県所沢市
ジャンル    J-POP、歌謡曲、ハワイアン
活動期間    1998年~
事務所     ぱれっと

 

幼い頃からバレエのレッスンをしており、1996年に全国バレエコンクールで優勝、1997年には世界的バレリーナの登竜門とも言われるローザンヌ国際バレエコンクールに出場しています。

 

ところが「バレリーナよりも歌手になって欲しい」という祖母の遺言により、歌手を目指し、日本音楽事業者協会主催の「第1回 THE JAPAN AUDITION」で約20万人の中からグランプリを獲得します。

 

グランプリを獲得した八反安未果さんは芸能界入りを果たし、1998年から「THE夜もヒッパレ」に約2年間レギュラー出演して知名度を高めていきます。

 

そして、1998年11月18日にシングル「Miss You ~忘れないで~」でCDデビューします。

 

1999年にリリースした3rdシングル「SHOOTING STAR」がテレビドラマ「L×I×V×E」の主題歌に抜擢されており、オリコン週間チャート初登場10からロングセールスを記録します。

 

また、1999年ファーストアルバム「Autumn Breeze」がオリコン週間チャート最高2位を記録し、第41回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞しています。

 

2004年12月に約3年ぶりにシングル「TRAP」をリリースした際は、この時のセミヌード・ジャケットが契機となり、2005年4月に写真集「Passion」DVD「True Love」を発売します。

 

2010年8月には食品輸入・販売と飲食店を運営するオセアンフーズの代表取締役社長に就任しています。

 

社長としては、ハワイアンカフェNaniNani(ナニナニ)のオーナーとして、ハワイの代表的スイーツマラサダやコナコーヒーを店舗や全国の催事で提供しいています。

 

2013年には久々となる主催ライブを開催したり、2014年にリバイバルブームも伴い、バラエティ番組への出演が増加して再び表舞台の露出を増やしていきます。

 

2015年3月25日には写真集「八反安未果 HATTAN AMIKA PHOTOBOOK」、6月26日にDVD「Amikalize」をリリースしています。

八反安未果の母・八田富子も歌手で人形作り!祖父と叔父は作詞家でヤバい!

母親・八田富子にコキ使って人形作り?

「有吉反省会」では手作りのバレリーナ人形を高額で販売し、母親をコキ使って人形を作っていることを反省する八反安未果さん。

実際に八反安未果さんのブログを拝見すると、手作りのバレリーナ人形がありました。

この度、バレリーナのお人形を
母と一緒に製作致しました。
何かバレエに携わった事をしたい。
と思う気持ちが強くなり、母に相談し、
私の想い描いたバレリーナのお人形を
母がひと針ひと針手縫いで仕上げてくれました。
何度も作り直しては、手直しをお願いし、
遂に私の想い描いたバレリーナが誕生しました。

バレリーナ身長 16㎝
チェーン 6㎝
トータル22㎝

バレリーナ1名 ¥13000

引用:バレリーナ人形

確かに「母と一緒に製作」と冒頭では書いていますが、実際に作っているのは母親だけで、しかも何度も作り直しては、手直しをお願いしてコキ使っていたのでした。

 

しかも値段は13000円とこのクオリティで思いが詰まったとして高いですね…

 

しかし、これを貰ってバレエの娘さんが喜んでいるので、お守りとしては良いのかもしれません。

ただ、八反安未果さんが感謝されて、コキ使われた母親が何も感謝されていないのが、八反安未果さんに反省してもらいたいですが…

八反安未果の母親は元歌手の八田富子!

実は八反安未果の母親・八反美鈴さんは「八田富子」という芸名で歌手活動をしていた経歴があります、

八反安未果 母
(画像引用元:https://stat.ameba.jp

八田富子さんは1966年11月に「みなしご波止場」で歌手デビューを果たしています。

 

それから1967年8月「北上夜曲」、1969年5月1日「哀しいキッス」、1969年11月1日「夜明けの涙」とコンスタントにリリースしてきました。

 

また1971年10月「女番長ブルース」は映画「女番長ブルース」の主題歌となっています。

 

そして、次に出した曲「九州夜曲」をリリースで最後となっています。

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祖父と叔父は作詞家?

実は八反安未果さんの祖父は作詞家で元日本作詩家協会理事の八反ふじをさん、叔父は作詞家の青江ひとみさんです。

八反ふじを プロフィール

本名      八反 藤蔵
生年月日    1925年1月14日
出身地     宮崎県小林市
ジャンル    演歌
職業      作詞家
活動期間    1958年~1975年
レーベル    東芝音楽工業、日本クラウン

 

八反ふじをさんは1965年に日本作詞家協会設立に尽力しており理事も務めるほどです。

 

そして、北島三郎さんや山田太郎さん、美川憲一さん等の作詞家を務めており、代表作には「残侠の唄」(北島三郎)、「新聞少年」(山田太郎)などがあります。

八反安未果 母
(画像引用元:http://www.kitajima-music.co.jp

 

ちなみに八反安未果の母親・八田富子さんの曲「哀しいキッス」「九州夜曲」を作詞したのも八反ふじをさんです。

青江ひとみ プロフィール

本名      八反英一
生年月日    1949年9月8日
出身地     宮崎県小林市
職業      作詞家・作曲家

 

青江ひとみさんも作詞家として1971年リリースされた都会調のデュエット曲「あなたまかせの夜だから」がヒットさせたりしています。

八反安未果 母
(画像引用元:https://images-fe.ssl-images-amazon.com

 

また1988年には当時親交のあったタイ王国の著名音楽プロデューサーMR.PATから、活動拠点をタイに移しいます。

 

タイでは、現地で人気のあったロックバンド「バッドガイズ」への楽曲提供や、人気女優への歌唱指導、カラオケDVD制作指導等と音楽に関わることなら積極的に引き受けて活動をしています。

 

2000年には帰国しており、ドクター林さんと知り合って芸能プロ「ドクター林事務所」を設立して取締役となり、日本芸能界に復帰を果たしています。

八反安未果の母・八田富子は元歌手で祖父と叔父は作詞家!人形作りにコキ使う?

八反安未果さんは母親をコキ使っていますが、その母親は元歌手で、祖父は日本作詞家協会設立したすごい人だったようです!

 

また、叔父も作詞家で音楽業界でタイで活動をしたりと、音楽一家のようですね!

 

みなさんも興味があれば八反安未果さんだけでなく、母親の八田富子さんや作詞家の祖父・叔父の曲を聞いてみてはいかがでしょうか?

せばな~