2016年10月29日放送の「ブラタモリ」では富士山のふもとについて、御師と呼ばれる道案内や「忍野八海」から湧水と富士山の関係性を紹介するようです。

 

御師とは道案内が仕事なの?他の活動は?なぜ道案内を?

湧水と富士山の関係性は?

 

ということで今回は、

御師とは?富士山での御師の活動は?

忍野八海と富士山の関係性は?

気になりましたので、調べて紹介したいと思います。

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御師とは?富士山と忍野八海の湧水の関係性は?

御師とは?

御師とはある神社や寺院に所属して信仰と説いたり、所属している神社・寺院を維持するために資金調達をしていました。

また参拝者には参拝・宿泊等の世話をする役割も担っていました。

 

そして御師として有名なのが、伊勢神宮と今回紹介する富士山を信仰する富士講の御師が有名でした。

 

平安時代末期の御師は貴族で流行、鎌倉時代には武士に、そして室町時代になると農民や庶民にまで御師の活動は広まっていきます。

 

江戸時代に御師は、百姓と神職の中間の身分として確立し、様々な神社で御師の制度を決めたりと活動は活発化、一部の御師は強い勢力を持ちます。

 

しかし明治時代に入ると政府主導の制度に変わり、百姓と神職の中間の身分である御師は世紀の神職ではないと神葬祭を行うことが禁じられて反発はしたが、1871年に御師職そのものが廃止されてしまいました。

 

そのため現在に置かれる御師とは職というより、肩書となってしまったようです。

富士山の御師とは?

富士山の御師は江戸時代に成立した民衆信仰「富士講」の信仰を説いた指導者として富士登山の宿泊所を提供したり、登山道について道案内等の様々な世話をしていました。

 

また富士山の信仰にはかつて議員が多く、御師の家には多くの議員さんが押し寄せて世話をしていたようです。

 

しかし、富士山の信仰は江戸幕府から厳しい弾圧は無かったが宗教政策上好ましくないみなされ、明治以降は弾圧が厳しくなります。

 

そして戦後になると富士山は信仰の対象としてではなく、観光地としてレジャー目的と認知されて気軽に登山をするようになります。

 

その後の信仰は衰退し、2006年には3軒の御師の家が世話をするのみ。

 

信仰していた議員はめっきり減りましたが、未だに富士山を信仰する議員らが巡礼として登山をするようです。

富士山と忍野八海との関係性?

湧泉群として世界文化遺産に登録されている忍野八海は富士山を信仰する信者にとっては霊場・巡礼地でもあります。

 

信者は登山だけでなく巡礼地にて、巡礼や水行等の修行をしていたようです。

 

ちなみに巡礼地は富士八海と総称された巡礼地があり、富士山周辺にある巡礼地「内八海」と関東~近畿地方にある「外八海」があります。

 

富士山の巡礼として回っていくのも富士山を深く知る上で面白いかもしれませんね。

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富士山は信仰の対象で御師が支えていた!忍野八海は巡礼地!

富士山は信仰の対象として、御師が信仰を説いたりと支えているのが本来の目的のようです。

 

そのため信仰を支える活動として登山の道案内は活動の一部で目的ではなかったようです。

 

これも今では富士山が観光地として認知されていることで勘違いされている方は多そうですね。

 

みなさんも富士山の歴史を知ることで、登山をする時の意識が変わって面白いかもしれませんよ!

 

せばな~