テレビ東京「カンブリア宮殿」でスゴイ縫製工場で作られた衣料品を販売するファクトリエの話をします。

中でも驚きなのが、社長の山田敏夫が33歳と若手起業家で自分のブランドを立ち上げたということで凄いです。

そんな、若手起業家 山田敏夫さんですが、

一体どのような経歴で、自分で起業して自身のブランドを立ち上げたのでしょうか?

気になりましたので調べて紹介したいと思います。


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ファクトリエ代表山田敏夫の経歴!ブランドを立ち上げから成功!

ファクトリエ 代表

山田敏夫、ファッションに入ったきっかけ!日本のブランドを立ち上げる!

元々、代々受け継ぐ老舗の婦人服店を営む家庭で育ち、ファッションは常に身近にある環境でした。

山田敏夫さんは次男ですが、兄が学校の先生を志していたので、性格も安定志向の山田さんは向いていると思い将来は自分が継ぐと考えていました。

 

その為将来を考えて、大学も東京の商学部入り、ファッションに興味をもったので、フランス留学をすることにしました。

しかし、フランス留学でいきなりスリに遭って一文無し。

 

日本に帰ろうかと思いましたが、金を手に入れるために現地の高級ブティックに手当たり次第、履歴書を送ます。

そして、グッチのみ書類がっ通り、面接も受けて働くことが出来ました。

実際に働いた当初は、地下の倉庫に籠って在庫整理を1ヶ月、そこから店内のレジ横の免税手続き担当、最後は販売員という経験をしました。

 

そんな中で働く中、グッチの社員に言われたことが

「日本には本物のブランドがない」

 

山田敏夫さんは反論はしましたが、そんな上っ面の話じゃないと一蹴。

日本は物づくりが優れた国です。

しかし、お客様主体でお客様の要望の全て答えなくてはなりません。

グッチでは、物づくり主体で、いいものを作りただお客様の要望に応えるのではなく、物の良さを伝えて理解してもらった上で買ってもらわなければならないと。

 

そう考え、グッチの社員たちにも揉まれる中で、山田敏夫さんは、

「日本でグッチのような誇れるブランドを作る」

と決意をします。

山田敏夫、就職して営業を学ぶ!やっぱりファッションに関わりたい!

フランスで自分の志を見つけて、帰国し大学3年生になってからは、就職活動をしていました。

「経営には営業が大事だ」

と大企業のトップの人事から言われて、営業に興味を持ち、

 

営業とインターネットが両方学べるソフトバンク・ヒューマンキャピタル株式会社に入社します。

山田敏夫さんは、そこで頑張り営業部長まで上り詰めます。

 

しかし、やはりファッションに関わりたい、というので営業を勉強をしていたのでITを活かしたオンラインショッピングの会社に応募します。

株式会社ファッションウォーカーに中途採用で不採用になりますが、なんとかアルバイトでその会社に就きます。

 

また、倉庫の管理へ逆戻り、そこから契約社員、正社員とステップアップして社長直下の事業開発室まで上り詰めます。

やはり、目標が高い人は本当にどんどん駆け上がりますね。

この会社で頑張る人と、自分で日本のブランドを作るという志の差でしょうか?

山田敏夫、「沸点」超えて自分のブランドを立ちげる。

その後は、会社が買収されて大手企業の所属で安定していましたが、このままで良いのか苦悩します。

自分のやりたかったことは、「自分のブランドを立ち上げる」事です。

 

そんな苦悩の中、グッチで働いていた海外の同僚に、

「帰国してから9年経つけど、お前のブランドはできたのか?」

と言われます。

 

やろうとはしていたが、結局はやっていなかった事を反省して、独立を挑戦することに決めました。

その時のは、情熱がふつふつと湧き上がり、「沸点」を超えたとのことです。

29歳で、会社を辞めて日本発の工場ブランドを作るべく、独立をします。

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工場で作った洋服を直接!山田敏夫、物づくりの本質へ!

海外でも通用するため工場は小ロットでも技術を生かした洋服を作りたいと思っていました。

しかし、工場から洋服が並ぶまで中間の業者が多く、そこまで行くにお金がかかってしまい、工場への利益が薄くなっていました。

 

そこで、中間の業者を省いて、工場で作った洋服を直接、洋服が並ぶ形の仕組みを作り上げます。

 

山田敏夫さんは、今までの経験により洋服に関しては目が肥えているので、凄く厳しく技術があるか見ぬくことが出来ます。

 

その為、訪問した工場350ヶ所もありますが、提携した工場は20ヶ所のみ、

気持ちとやる気だけでなく、技術力がある所のみと契約して徹定期的にこだわりは持っています。

ファクトリエ代表山田敏夫の現在!100年かけてやっとブランド!

現在は、ファクトリエというブランドを立ち上げて様々なアイテムを販売しています。

グッチ等のブランドを作るには最低100年はかかるということです。

 

ですので、ブランドの血を薄めないためにブランドの若者向け価格商品という提案は断り、あくまでも物づくり主体で行う。

そして、100年続いた濃い血の日本ブランドをつくり上げるのが山田敏夫さんの思いです。

 

実家の洋服店も継いで、そちらも並行しやって、地元に恩返しもしたいとの事。

まだまだ、山田敏夫さんの夢は始まったばかりですね。

 

最低100年は続けるということは、そのブランドの血を脈々と受け継がなければいけなく、今後どうやって受け継ぐのか気になります。

 

100年後のファクトリエを見ることが出来ないのは、残念ですがそれまでのファクトリエの躍進に期待しております。

 

せばな~